カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
シドニー・ルメット監督の映画デビューは’57年の「十二人の怒れる男」
’24年生まれだから今年で83歳ですか。 アメリカ映画を語る上で欠かせない監督です。 「十二人~」の前はTVの演出家で500本の作品があると言うので、ぽっと出の新人ではありません。 TV自体もまだ創成期で、かなりの試行錯誤をこの間に経験できたのだと思います。 映画は、映画館に入ってもらえば、とりあえず最後までみてもらう暗黙の了承がありますが、TVは少しでも飽きさせると、チャンネルを変えられてしまいます。 それでストーリーに細かいえさを仕込んで、食いつかせる必要があります。 物語の興味をを引っ張り続けるテクニックは、この作品にも遺憾なく発揮されています。 というか、そのテクニックがなければかなり辛い素材なのです。 “法廷劇”なのですが、法廷シーンはほとんどありません。 すべてが“陪審員室”で進められます。 舞台で言う一場劇。 陪審員室と言う密室で、十二人の陪審員のやり取りだけでストーリーが展開します。 初めてあったよそよそしい十二人が、徐々に人間性を現し、個性を発揮していきます。 シナリオのお手本にされる名脚本です。 映画や舞台を目指すものには、ある意味“理想”と呼べるほどなのです。 その憧れが高じて、三谷幸喜は「十二人の優しい日本人」というパロデイ作品を創っています。 こちらは日本に陪審員制度があったら、という前提で作られてますが、日本でも’09年より“裁判員制度”が始まります。 量刑が甘い日本の判決に対し、民意が少しでも反映されればいいと思いますが、いざ自分が選任されたらどうしよう、ってことも考えてしまいます。 はっきり言って迷惑です。 生活リズムがそこで完全に断ち切られてしまいますから。 だいたい法廷で被告人を目の前にして、“死刑!”と言えるかどうか。 日ごろ「10万円盗んだら、10万円返すのは最低あたりまえでしょ。殺人罪はイコール死刑でないと辻褄合わないでしょ」なんて言ってるモンで。 裁判なんて、組織のルール違反者に対する報復行為なんだから、甘くしたんじゃ見せしめになりません。 犯罪抑制には“一罰百戒”にすべし。 それは、他人事だから言えること。 人の“情”は理屈ではありません。 特に日本人には復讐は似合わない。 そんな、自分の矛盾に向き合うのが、ちょっとやだな、って思います。 そもそも、死刑を宣告するのって、後引きそうでないですか。 やーな気持ちが残りますよね、ずっと。 って考えると、こんな腰の引けた状態でできるのかしら。 やっぱり迷惑だな。 「十二人~」の方は、ほとんど死刑になりそうだった被告の少年を救うんだから、これならいいんです。 人助けをしてるのですから。 でも、僕はヘンリー・フォンダみたいには出来ないだろうな。 すぐ空気に反応するタイプだから。 そもそも、常に自分は間違っているんじゃないかと不安でいる、“自己疑心暗鬼症?”の僕には、無理ですよ。 陪審員をテーマにした映画に、デミ・ムーアのその名も「陪審員」がありますが、こちらはマフィアにおどされて、有罪の犯人を無罪にしてしまうもの。 こんなのを見ても嫌になりますね裁判員制度。 まあ、選ばれちゃったら、なんとか好奇心を鼓舞して、務めさせてもらいますけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月17日 08時19分46秒
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