カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
僕の中学1年の時(’69年)、アポロ11号が月面着陸に成功しました。
あの時の感動は比類ないものでした。 ボーとした子どもだったので、世の中に“宇宙計画”なるものがあることすら知らなかったのですが、大人たちの騒ぎに巻き込まれて、はじめてその壮大なオペラに出会います。 すごい緊張と興奮が漂っていました。 宇宙シーンに関しては、「宇宙家族ロビンソン」などで予備知識はありましたが、“リアル”ということにおいては、禁断の扉を開けるがごとき高揚感を覚えました。 アームストロング船長が、歴史的第一歩を踏んだ時の言葉は感動でした。 「これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」 この言葉に感動したと言ったのはウソです。 いかにも、用意してあった台詞で、がっかりでした。 宇宙飛行士名言としては、「地球は青かった」とか「わたしはカモメ!」というソ連製のものが知れ渡っていたので、アメリカは芸術性では負けたなと思いました。 後に、立花隆の本で、宇宙飛行士は文学的な人間ではダメだ(危険だと言うことです)という内容が書いてあり納得しましたが。 月面着陸は“アポロ計画”と呼ばれるものですが、この物語は“マーキュリー計画”という、前の前のミッションの話。 計画は、’59年に始まりますが、物語は’47年に遡ります。 なぜ遡るかというと、主人公のひとりである、チャック・イエーガーがこの年、音速の壁をついに破ることに成功するのです。 ’47年? 日米戦終結からまだ2年でないの。 それじゃあ負けるよな、ゼロ戦。 このチャック・イエーガー(もちろん実在の人物です)の音速の壁挑戦の話が前半の柱なのですが、彼は宇宙へは行きません。 「カプセルに入れられたモルモットなんて」と、宇宙飛行士になることを拒否します。 それで話は、伝説の男たちに憧れていた、次の世代の男たち七人の物語に転換していきます。 原作がそうだったからでしょうか、この二つの話を一つに収めてしまうのはもったいない。 構成上前座扱いになってしまうチャック・イエーガーがあまりにもかっこいい。 演じるサム・シェパードが素晴らしく、申し分ない存在感を示します。 音速を超えるジェット機に乗るのに、馬を疾走させて現れるなんて、例えばトム・クルーズがやったら、んなわけねえだろ!、って突っ込まれそうなシーンも、そうだったのかと納得できます。 で、後半の七人の話も、それはそれで素晴らしいのです。 でもこの二つの話は相反するのです。 一匹狼のかっこいい男の話と、七人の選ばれた男たちのユニゾンな話と。 対比させることに意味があるのでしょうが、途中で対比しきれなくなってしまいます。 まあ、二本のいい映画が一本で楽しめると思ってください。 題名の「ライト・スタッフ」ですが訳せば、“正しい資質” ちょっとやな感じしません? あくまで宇宙飛行士としての“正しい資質”なんでしょうが、宇宙飛行士というものが、心技体すべてに優秀な人間がなるので、まるで選ばれしエリートとしての“正しい資質”といわんばかりです。 確かに、体力知力精神力が備わっていないと、こなせない職業ではありますが、そうなりたいかと言うと少し違ってきます。 ライトスタッフの選ばれた7人は、それぞれ人間味もあり魅力的ではありますが、やっぱりかっこいいのは一匹狼のチャック・イエーガー。 もしかしたら、この作品が作られた80年代前半は、一匹狼的ヒーローから、チーム協力型ヒーローに世の中が変わっていく過渡期だったのかもしてない。 はぐれ物ぞろいのアメリカンニューシネマのヒーローたちは、もう舞台から去らなくてはならない時期がやってきたのでした。 ってことなのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月25日 08時31分57秒
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