テーマ:足下を掘れ(72)
カテゴリ:昔の話
ある人と待ち合わせをして、その人の知り合いの人とその人を待つ間、話しをしなくてはならないシチュエーションに遭遇しました。
初対面ではなかったのですが、その方のことよくは知りません。 黙って待っていてもよかったのですが、自分のトレーニングとして言葉のキャッチボールを試してみました。 相手の話したいことを聞き出す術を、今研究中なので。 とりあえず、住まいとか出身地とか、具体的であり、話の続きが出来そうな所に探りを入れてみました。 すると、驚いたことに、お互いの実家がすぐ近くだと言うことが判明しました。 共通項ができたので、あとは楽ちん。 同年代に見えたので、歳を尋ねると、僕より7歳上の団塊の世代。 意外に老けてました。 それでは、中学の先輩に当たる人かと思いきや、中学は僕の行った所へは行かなかったとのこと。 「僕はいじめられっこだったんです」 小学校は地元の小学校だったそうなので、中学受験をしたと言うことなのでしょう。 あの頃中学受験は珍しい。 きっと金持ちの家だったのでしょう。 でも僕のほうは、中学の話をふっておきながら、一方で僕の“暗黒の中学時代”が甦りにわかに気持ちが沈んでいくのを感じました。 あんなつまんない時代はなかった。 学校に行くのが嫌だったという、精神的外傷だけは残っているのですが、具体的なエピソードはなかなか出てこない。 人間、忘れてしまいたい嫌なことは、安全装置が働いて、記憶から除去してくれるものらしいです。 「行かなくて正解だったと思いますよ。僕の学年は、3人鑑別所に送られましたから」 荒れていたんです、その中学。 僕はもともとそこで生まれ育ったわけではありませんでした。 中学1年の3学期に越してきました。 同じ東京だったのですが、引っ越してきた時、だいぶ印象が違いました。 前の中学では「プロレスごっこ」などはしていなかったのですが、こちらは全盛でした。 そして、転校生である僕は、当然のように標的となり、様々なワザをかけられる羽目になりました。 おかげでいろんなワザの名前を知ることが出来ました。 それがどれだけ痛いかも。 前の中学とその中学、文化とか価値観とか、正邪善悪すべての基準が違うような、別世界でした。 この中学は、いじめ問題とかいうレベルではなかったと思います。 「プロレスごっこ」でしごきをかけるのはかわいい方でした。 徐々にやることが乱暴になり、次第に形成された“不良グループ”の暴力が、日常に行使されるようになりました。 そうなると、いじめるいじめられるなどと言う区別ではなく、不良グループと、暴力の恐怖に怯える一般生徒という図式になります。 とにかくそのグループに目をつけられないようにするにのに必死でした。 先生に何かを期待するという希望は、すっぱり捨てました。 明らかに、先生自身が不良グループから逃げていましたから。 あの頃学んだことはなんだっただろう。 “正義”は力を伴わない場合、まったくの無力だ。 嵐は身を低くして行過ぎるのを待つしかない。 災難から逃れるために、とりあえずできる事をやってみる価値はある、気休めとして。 “祈り”は弱者のせめてもの“良心”。 “友”と“敵”は背中合わせの同一物。 世の中で一番効果のあるパワーは、“暴力”。 めだってはいけない。 ほめられてはいけない。 先生と距離を置いていなければいけない。 どんな弱い奴も、傘の下なら強くなれる。 正しいことを思う人は多くても、正しい行動をとる人はいない。 「たすけて」と言う声は、友にかけるべきでない。神様だけにしておけ。 裏切られるのが嫌だったら、信じるな。 楽しみを見つけたら、自分だけのものにしろ。 等々… 改めて考えると、けっこう学んでますね。 いじめ問題を書こうと思ったらずれてしまいました。 「いじめ問題」はいつの時代にもあった。 今の緊急課題は「いじめと自殺」なのです。 自殺は絶望と言う幻覚に執り付かれた時陥る結論です。 なぜ、いじめられると絶望するのか。 救いがないと感じるから。 僕の中学時代も救いがなかったけれど、やられる対象が複数だったので、心理的に孤独ではなかったのかもしれない。 “孤独”がキーワードかもしれない。 「戦争中はいじめなんてなかった」という先輩がおられましたっけ。 みんなが不幸なら、本当の不幸ではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年03月07日 21時54分24秒
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