明日は2月14日、バレンタインデーです。
僕が、この日にチョコレートを初めてもらったのは小学6年生の時、小学校卒業を控えた頃でした。
40年近くも前の話です。
あの頃はまだ“バレンタインデー”にチョコレートを贈る習慣など知られていませんでした。
ただ、TVで人気絶頂だった「ザ・タイガース(阪神ではありません。沢田研二、岸辺兄弟などを擁するグループサウンズです)」が盛んに、
『チョッコレート♪チョッコレート♪チョコレートは メ・イ・ジ』
と歌っていたのを覚えています。
当時“ジュリー”と呼ばれていた(貧乏で床屋へいけず、髪が長かったので)僕は、当然あの体をくねらせて歌うしぐさをマスターしていました。
『長い~坂道の~落ち葉の丘に~やさしい~あの人が住んはいるのです~コートに~包んだ~愛のチョコラテ~あたたかい~まなざしが~僕を待っています~♪』
という歌も、よく歌っていたのですが、その後聞いた覚えはありません。
よく覚えてたなあ、小学生の記憶力はたいしたもんです。
この歌がバレンタインデーの歌だったとわかったのはチョコレートをもらった後です。
あの日のことは良く覚えています。
夕暮れの薄闇が近づいた頃、僕の家のブザーがなりました。
出てみると、クラスメイトのK子がいます。
K子はクラスで一番のチビで、あだ名もチビと言っていました。
今じゃ差別用語で使えないでしょうね。
体はチビだけど、どこか大人っぽいしっかりした考え方をする、ちょっと一目置く存在。
目に少し憂いがあって、あのころ人気の歌手“奥村チヨ”に似ている感じでした。
字が上手で、それも大人っぽい字で、子どもにとってはそういう少し先へ行ってることは凄いことなのですね。
小学生なので、恋愛感情など芽生えなかったのですが、よく覚えているということは意識はしていたのでしょう。
その彼女が家の前にいます。
何かと思うと、無言で赤い包装紙に包まれたものを渡します。
受け取ると、さっさと帰ってしまいました。
何がなんだかわからず、あけてみると“グリコ・アーモンドチョコレート”でした。
先ほど書いたように、バレンタインデーなんてまったく知らなかったので、ほんと解んなかったです。
卒業のサイン帖を回しっこしてたりしてたので、今度はプレゼントの交換が始まったのかと思ったぐらいでした。
チョコレートをもらった事実は忘れられないことですが、その後彼女にお礼を言ったのか、どんな反応を示して見せたのか記憶にありません。
「ホワイトデー」などという劣悪な習慣はまだ存在していませんでした。
たぶん何も聞かず、何の接触もなく、二人とも近くの公立中学へ進学し、僕の方は転校してしまいました。
それで終われば、この想い出は"初めてのバレンタインデーチョコ体験"だけだったのですが、終わりませんでした。
運命が僕ら二人を再会させたのです。
八年後の20歳の時、クラス会があって、そこで再び巡りあったのです。
当たり前ですが、二人は大人になっていました。
K子は相変わらずチビでしたが、化粧などして、すっかりOLでした。
僕も社会人ではありましたが、まだ道に迷っているヒヨッコで、彼女の大人の色気にいちころでした。
そして、K子もその後引越しをして、偶然家が近いことがわかった時、運命の鐘が鳴り響いたのを覚えています。
話題には出さなかったのですが、とにかく向こうはバレンタインデーにチョコを贈ったんだから、僕に気があったことは自明であり、僕がそれに答えれば、恋愛成立するわけです。
K子も8年間思い続けて、今それが叶うことになるのです。
運命の導きに従い、僕らは付き合い始め、とてもいい感じに何の障害もなく進んでいきました。
そして、交際が始まってからの、初めてのバレンタインデーを迎えることになります。
この日を迎えるに当たって僕は、今度チョコレートをもらったら、正式に真面目に交際を申し込もうと決心していました。
結婚はまだ早いけど、男の"誠意"を見せねばと思ったわけです。
とにかく、8年も待たせたのです。
僕も真剣にならざるを得ないでしょう。
ところが、2月14日の当日になっても、K子からチョコレートは届きません。
チョコレートじゃなくて、何か別のプレゼントが待っているのかとも思ったのですが、それも違うようです。
デートの帰り、K子の家についてしまいそうになって、恐る恐る聞いてみると、
「あら...、T君はそういうの嫌いかと思ってた」
何を根拠にそう思ったのかは知りませんが、彼女の脳裏にはまったくチョコレートはなかったようです。
「でも、僕らの運命は、8年前のこの日のチョコレートから始まるんだぜ」
K子は、ぽかんとした顔で僕を見ています。
「僕はあの日君にグリコアーモンドチョコレートをもらってからずーと君の事を思ってたんだよ(ウソですが)」
「私があなたに、チョコをあげたの?」
なんと、彼女は忘れていました。
そして、しばらく考えて、
「あっ、思い出した。あれはね、S君にあげようと思って買ったんだけど、S君いなかったのよね。それでT君にあげたのよー」
確かに、僕の家はS君とK子の家の途中にある。
それを言い終わると、K子はけらけらと笑い転げました。
そういえば、K子との思い出話の中に、よくS君が登場していましたっけ。
僕は隠し持っていた"誠意"のやり場に困ってしまいました。
そして、気づかれないように、傍らを流れる石神井川に捨てたのでした。