カテゴリ:昔の話
戦争の記憶は風化しつつある。 昨今の若者の中には、日米が戦争をしたことすら知らない者もいるという。 一方、この時期は、戦時の悲劇がTVドラマで描かれる。 戦争の痛みを伝えなければという義務感も垣間見れるが、戦争自体の歴史的検証は決定的に欠けている。 戦争を擁護するつもりはないが、戦争に至った世界の潮流は把握しておかなければならない。 ここに収められた言葉は、すべて記録として残っている事実である。 物事を一方からのみ見させられている人には、新鮮かもしれない。 昨年、NHKで『龍馬伝』が放送され、福山人気で多くの人が幕末における日本の転機を目撃した。 龍馬の時代、それまでの日本と、そこからの日本は明らかに違う歴史に変わっていった。 つまり大東亜戦争(太平洋戦争)は、ペリーの黒船が浦賀に訪れた時に始まっていたのだ。 明治維新、富国強兵、日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦とその潮流は一気に進んだ。 ヨーロッパ列強諸国のアジア植民地政策と、それに反抗する日本帝国の歴史である。 最終的に、太平洋地域の覇権をめざすアメリカ合衆国との戦いになるのは必然であった。 欧州列強のアジア侵略に対し(アメリカは国内事情で遅れをとっていた)、日本は自らの防衛として、列強に支配されていたアジアの解放戦争に向かわざるを得なかった。 一方的に支配されているだけのアジア人が、同じ姿の日本人の闘う姿を見て目覚めた。 日本がアメリカに敗れた後も、日本人の勇姿は、アジア人が自ら立ち上がり、そして独立を勝ち取る力となった。 独立戦争に多くの残留日本兵が加わっていたことも、各国の記録に残っている。 この事実が義務教育においても、民間の伝承においても消えてしまったのは、アメリカの占領政策による歴史の抹殺のためである。 戦後日本にとっても、“戦争放棄”を標榜するにあたり、「良い戦争」などあるべきではなかった。 戦争は悪の整合性のため、“自虐史観”を作り出す必要があった。 もちろん共産主義の台頭が、新たな歴史のページを開いたという理由もある。 結果的に、戦争放棄は日本に繁栄をもたらした。 アメリカが戦争を続けた恩恵を授かり。 現在、その日本とアメリカが、経済危機に陥っている。 戦勝に驕ったアメリカと、敗戦からの復活に過信した日本が、過去の成功事例に縛られすぎた。 人は失敗から学ぶ。 成功体験から抜け出さなければ新しい道は開けない。 歴史は転機を迎えている。 現代は、新しい価値観が必要な時である。 人間ひとりひとりの幸福のために、本当に必要なものは何なのか、改めて考えなければならない。 人類の歴史の蓄積も、究極、個人の幸せにつなげるべきものなのである。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月14日 08時03分46秒
コメント(0) | コメントを書く
[昔の話] カテゴリの最新記事
|
|