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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2011年08月16日
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カテゴリ:昔の話

 

http://youtu.be/2xXlS9pQSo8

 

同僚のQ君のリクエストで、懐かしいコミック系の曲を。

よく放送禁止にならなかったものだ。

調べてみると75年発売とある。

僕の大学1年のことだ。

高校の部活仲間と歌った思い出があるが、OBとして合宿に行っていた頃だろう。

当時「キンタ」というあだなの、後輩の女子がいて、いっしょに歌っていた記憶がある。

今ならさしずめセクハラなどど糾弾されるだろうが、みんなでけらけら笑っていた。

のどかな青春時代であった。

あれから36年。

世間の荒波に、僕らはそれぞれ漕ぎ出した行った。

あの頃の僕の悩みは、どんなものだっただろうか。

36年後の自分の姿など、微塵も想像していなかった。

当時憧れていた五木寛之や笹沢佐保、小松左京など流行作家もまだ40代、「中年御三家」と呼ばれた永六輔、野坂昭如、小沢昭一も40代、その辺が将来の限界の姿である。

50歳以後の人生は存在しなかった。

40代の自分が人生のゴールと思っていた。

戦前の人間は、敗戦に萎縮してしまったため、あの頃は表に出てこなくなっていたのかもしれない。

世の中は、戦中戦後(安保)世代が牽引して行った。

僕らの世代は、その後を子犬のように追っかけていくだけだった。

「もはや戦後ではない」と言われ、高度成長が始まり、日本は復興を果たした。

日本人の平均寿命はどんどん伸びて行き、人生も長くなった。

50歳以後の人生が、突然現れた。

年金のことなど、考えていなかったもんなあ。

あれから36年が過ぎ、これから30年以上を送ることになる。

30年後の自分は、今の僕に何を言うだろうか。

ちなみに、特別養老院に入居した義父は、30歳年長である。

自分の30年後はこうなのかと、寝たきりの姿を見舞って暗澹とする。

さしずめこうならないための、心身の鍛え方が今の緊急課題である。

 

数年前、キンタ嬢に部活の同窓会で再会したが、全く変わりなく可愛いオバサンになっていた。

30年後もみんな元気でいたらいいなあ。

 






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最終更新日  2011年08月17日 20時50分35秒
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