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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2013年06月02日
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カテゴリ:昔の話
 

仕事中の雑談で「30年前から値段が変わらないものってあるのかなあ」と言い出す人がいて、ちょっとその場の話題になりました。

30年前と言うと、1983年(昭和58年)、バブル期前夜という頃です。

昭和歌謡としては、『さざんかの宿(大川栄作)』『矢切の渡し(細川たかし・ちあきなおみ・瀬川瑛子)』『めだかの兄弟(わらべ)』『天国のキッス:SWEET MEMORIES:瞳はダイヤモンド(松田聖子)』『1/2の神話(中森明菜)』『春なのに(柏原芳恵)』『悲しい色やね(上田正樹)』『初恋:踊り子(村下孝蔵)』『ラブ・イズ・オーバー(欧陽菲菲)』『思い出がいっぱい(H2O)』『15の夜(尾崎豊)』・・・まだまだありますが、いずれ昭和歌謡探訪で。

映画は(7年前のこのブログは懐かし映画のコラムでした。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200604300000/ )、『E.T.』『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』『ソフィーの選択』『フラッシュダンス』『戦場のメリークリスマス』『探偵物語・時をかける少女』・・・映画界は、新しい挑戦の時代は終わり、収穫の時代に移行した感があります。

この頃は、個人的には、仕事に没頭することになり、歌謡曲とも映画とも距離を置くようになってしまいました。

 

僕は27歳、雇われではありますが、喫茶店の店長とカルチャーセンターの事務長を兼任し、仕事中心の生活を送る時期でありました。

ビジネス書を読み漁り、いっちょまえのことを知ったかぶって部下に垂れ流していた、今振り返ればとっても恥ずかしい時代でした。

結婚前と言うこともあり、家庭経済には疎かったのですが、店のコーヒー代は開店時(昭和56年)確か250円。

その後、ブラジルの冷害からコーヒー豆の価格高騰があり、300円に値上げしたのがその頃だったと思います。

コーヒー豆の高騰と言っても、一杯あたり原価10円が20円になるようなものでしたから、50円の上げ幅は完全な便乗値上げだったのですが、頭を低くし窮状を訴えましたので客数は落ちることも無く、これを機に経営が順調になりました。

この喫茶店の現在のコーヒー代は400円ですが、当時同じ通りに立地しライバルだったドトールコーヒーの現在は200円。

コーヒー代は高くなったのか?安くなったのか?

コーヒーのステータスが変化した現在では、比較ができません。

 

そんなことを考えているうち、今年から"昭和探訪家"を始めた僕としては、物価についての基本知識はまず抑えなければならない必須事項だと思い、とりあえずその周辺を調べることにしました。

参考とするのは、高橋孝輝著『値段が語る、僕たちの昭和史(主婦の友社)』。

今回はこの中からテーマである、30年前の価格をいくつかピックアップして考察しようと思います。

若い人たちに付け加えておくことは、戦後昭和30年代から日本は"高度経済成長"時代を経験し、毎年物価は上昇し続けていたということです。

大卒初任給で言うと、映画『オールウェイズ・三丁目の夕日』に描かれる昭和33年は13,467円、それから毎年上がり続け、東京オリンピックの昭和39年には21,290円。

昭和43年には30,290円、以降毎年1万円近く上がり、ついに昭和50年には91,272円になります。

しかし、この前の昭和49年(1974年)に、"列島改造ブーム"とそれに伴う"金融緩和政策"に"オイルショック(産油国が原油価格を4倍に引き上げた)"が重なったことにより、日本は急激なインフレに襲われ、消費者物価指数が23%上昇し、その後5年間物価が上がり続けた"狂乱物価"時代を経験します。

その後も賃金と物価は上がり続け、昭和52年に大卒初任給は10万を超え、再び毎年ほぼ1万ずつ上昇、平成元年には165,102円、同4年には191,266円まで上り詰めます。

30年で15倍近く上がっているのです。

では物価も15倍になっているのかと言うとそんなことはなく、昭和30年から統計に差がありますが、消費者物価指数は4倍~8倍となっています。

何を基準にして統計を取るかで変わってきてしまう数字なので、昔の生活必需品が60年後はそうでなくなってしまうなど、長いスパンで比較することは難しいと思います。

それでも昭和の間は、物価の上昇より賃金の上昇が上回って、庶民の生活水準は徐々に上がっていったことを物語っています。

 

前置きが長くなりましたが、個別にいくつか取り上げて見ます。

まず目に付いたのが『カップヌードル』。

昭和58年の時点で140円。

『カップヌードル』の発売は昭和46年で、売り出し価格は100円。

当時の袋入りインスタントラーメンは30円、バーゲンなら25円という時だったので、発泡スチロールのカップに入っているというだけで、袋入りのインスタントラーメンより3~4倍も高いものでした。

ゆえに発売当初は、この価格設定に疑問をもたれていました。

にもかかわらずこの商品は発売翌年にあるきっかけを経て、爆発的に売れるようになります。

そのきっかけとなった昭和史に残る事件は、47年に起きた『あさま山荘事件』です。

連合赤軍(新左翼テロ組織)が軽井沢の浅間山荘に人質をとって9日間立てこもり、死者3名。重軽傷者27名を出した事件です。

その9日間は連日現地からテレビ報道がされ、多くの国民はその動向に注目していました。

その中で民放はもとよりNHKの映像にも映し出されたのが、マイナス15度の酷寒の中、おいしそうにカップヌードルをすする機動隊員の姿でした。

今も昔も変わらない"新しい物好き"な日本人は目ざとくそれを見つけ、あのうまそうなものは何だと買いに走りました。

発売初年は2億円の売上げだったものが、翌年には67億円まで延ばしてしまいました。

そんなきっかけで世に出た『カップヌードル』でしたが、僕の認識では、当時人気の若者向けバラエティー番組『ヤングおーおー』のCMで刷り込まれたというのが、若者というターゲットをとらえた要因でした。

今はいくらで売っているのか"価格.com"で調べてみると、ネット通販の"amazon"で20個2760円で売っていました。

一個当たりでは、138円。

30年前と変わらない値段です。

技術革新やら競争やらいろいろなことがあってのことでしょうが、青春期のリッチなカップヌードルと、廉価商品となった現在のカップヌードルの変わらぬ味は、ノスタルジーと哀愁を誘います。

 

次にバナナ、昭和50年の時、1キロ(5~6本の房)が286円でした。

現在を調べると、"価格.com"ではフィリピンバナナが13キロ2580円で売っていましたので、1キロ当たり198円。

おや、ずいぶんと安くなっています。

僕の子供の頃の記憶では、バナナはとっても高級なフルーツでした。

昭和39年の時点では228円でしたが、大卒初任給が2万円ですから、10倍に換算すると2280円があの頃の値段に近い額です。

ただ、この後急激に貿易は拡大され、47年には139円まで落ち込み、徐々に値段を上げ50年は逆に最高値の時期でもありました。

あんなに憧れていたバナナなのに、値段が下がるとそれほどありがたみもなくなり、食卓で見かけても、あえて手を伸ばすこともなくなりました。

買っているのはたぶん義母だと思います。

76歳の義母にもバナナは高級フルーツで、孫のおやつにとついつい生協の注文に入れてしまうのだと思うのですが、孫(つまり僕の息子)も子供の頃のようには喜んで食べていないようです(あまり家にもいないし)。

でもバナナはミネラルフルーツと呼ばれるほど、カリウム、マグネシウムが豊富で、血圧を安定させ、ビタミンC・B群、タンパク質、食物繊維、オリゴ糖と健康に必要な栄養素がふんだんに含まれています。

代謝を良くして、便秘を解消しますので、スポーツや美容にはもってこいの食材なのです。

 

次は牛乳。

1000mlの牛乳パックは70年代中ごろに既に売られていて、150円でスタートし、すぐに200円前後に値上げされ、現在に至っているそうです。

スーパーでは150円~200円ぐらいで、つまり30年前と変わっていない。

これも大量飼育や餌の改良などで、企業努力で安定させてきたのでしょう。

しかし昨今の円安で、餌代が高騰し酪農農家はやっていけないとニュースで訴えていました。

少し前は、過剰生産で廃棄したりしていたから、難しい業界のようです。

昔はどの家庭も、宅配の瓶入り牛乳を取っていました。

戦後の子供の体力強化のため、国策で牛乳を推進していたのだと思います。

牛乳と栄養についての知識は、満遍なく広がっているようです。

それが中流家庭のシンボルでもあり、新聞受けの隣に必ず牛乳受けの箱も並んでいました。

昨今ではいつのまにか、宅配牛乳は激減してしまいました。

スーパーで買う1リットルパック入り牛乳の普及が、彼らを淘汰してしまったのでしょう。

牛乳代は変わらなくても、それを配達する人間の給料は変わってしまったからです。

お金の価値が、対象が違うことで変わっていくという不思議を、昭和を振り返って感じるところです。

我が家にも"おいしい牛乳"が冷蔵庫にいつもありますが、これも義母が息子のために生協で頼んでいるものです。

子供の成長のためとせっせと飲ませているのですが、息子の体格は僕とほぼ同じで止まってしまいました。

栄養量、運動量(息子はサッカー部でした)ともに僕を上回っていたのですが、遺伝体質には叶わなかったようです。

もっとも牛乳は巷間言われているほど良い食材ではなく、カルシウムは豊富なのですが、かえって血中カルシウムが過多になり、逆に骨からカルシウムが流出し、骨そしょう症の原因にもなるという説もあります。

牛乳の摂取量の多い北欧やアメリカに、骨そしょう症が多いというデータから推測された理由です。

タンパク質はアレルギーの原因ともなり、日本における戦後の花粉症の激増は牛乳が原因と疑われています。

そういえば我が家で花粉症なのは、牛乳を良く飲む息子だけです。

牛乳が栄養になるのはラクターゼと言う酵素を持っている子供のうちだけで、大人は数字ほど栄養になりません。

僕はお腹壊すから、もともと飲まないからいいんだけど。

 






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最終更新日  2013年06月02日 18時47分57秒
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