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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2013年06月07日
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カテゴリ:昔の話
 

マクドナルドが始めて日本に上陸した時が、昭和46年(1971年)、銀座三越の銀座通りに面した一階、値段はハンバーガーが80円でした。

木村屋のアンパンが30円だったそうで、こちらは今140円なので、この類の物価は4~5分の1だったと考えられます。

だから印象としては高い食べ物だったはずです。

しかし、それがすんなり受け容れられたのは、藤田(でん)日本マクドナルド社長の卓見で、1号店を銀座三越に出したという点でしょう。

当時三越側はあまり乗り気でなく(当時の三越はお高い方々の老舗百貨店だったので)、営業時間中に店舗工事することはままならんという条件を付けていました。

それで、前日の閉店時間から翌日の開店時間までに、マクドナルド第一号店舗を突貫工事で作ったという信じがたい計画を実行しました。

この日に備えて、別の場所でいかに効率よく工事をするかというシュミレーションを何度も繰り返した結果だという、まさに不可能を可能にした事業でした。

そこまでして欲しかった、銀座の一等地、こだわりは大成功でした。

TVニュースで報道され、前年に生まれた"歩行者天国"の目玉として、銀座の象徴にもなっていくのでした。

その後主要都市に次々出店し、アメリカの文化があっという間に日本の文化に溶け込んでいき、「安保反対」「ベトナム戦争反対」と反米を旗印にしていた学生たちも、あっさりマクドナルドを受け入れ、以後、若者文化は急速にアメリカへの憧れに染まっていくのでした。

 

僕が生まれて初めてマクドナルド店に入ったのは20歳ごろ(昭和51年)、大学を辞めて調理師学校へ通い出した時です。

第2の進路に調理師学校を選んだ割には、僕は食に対しての欲求が無く、外出しても駅の立ち食い蕎麦で腹ごしらえしていました。

なので、マクドナルドもロッテリアも存在を知っていても興味はありませんでした。

ちなみに調理師学校への道を選択したのは、自分で店を出す時に必要だと思ってたからです。

初マックのことをよく覚えているのは、その時連れて行ってくれたのが、バイトの新聞配達で知り合った北海道生まれのF君だったからです。

僕はかつて、落語に凝っていた時期があり、F君も同好の士であったためよく一緒に聴きに行ってました。

なので、たぶん東急寄席に行った時(たぶん三遊亭圓生の独演会)の、渋谷がその場所だったと考えられます。

僕の行っていた大学も渋谷なので、本来知っていてしかるべきなのですが、大学とバイト先と映画館しか土地勘を持っていませんでした。

カウンターに並んで注文するシステムも初体験だし、ハンバーガーにセットがあることも知りませんでした。

かなりしどろもどろしたと思われます。

一方F君はかなり慣れた口調で注文を完了していました。

彼は早稲田大学だったこともあり、都心の生活が身についていて、東京山の手生まれの僕は、都心には異なる文化があることすら知らなかったのでした。

地方から単身上京して、一人暮らしで奮闘している人間と、親元で衣食住に不便を感じずに生きている人間とでは経験値にかなりの差がうまれ、社会性における劣勢がはっきりした瞬間でした。

小説の中の世界は空想しても、実社会の感触はなにひとつ知らない、未成熟な自分でした。

それでもF君は、僕と会話をしている時が一番東京を感じると言っていました。

あの頃は恐いもの知らずで、あたりかまわず批判して回っていたから、頭が良いように見えたのでしょう。

昔のことを考えると、こういう恥ずかしい事柄もセットで思い出されるので辛いのですが、まあ、それも受け容れなければ心の平和に辿り着きませんので、とにかく惨めな自分を認めて許してやりましょう。

 

さて肝心の初めてマクドナルドを食した時の味ですが、はっきり覚えているのは違和感でした。

僕の知っているハンバーグの味とは違うパテ、想像していなかったピクルスの酸味、そもそもでかく口を開けなければ入らないという不条理。

しかもそれを道路に出て、立ち食いをするというお行儀の悪さ。

コーラも薄くて氷ばかりだったし。

「牛肉100%」というCMフレーズが当初から使われていたかは不明ですが(たぶん猫の肉デマがでたからだとおもう)、とても牛肉の味とは思えませんでした。

負け惜しみでなく、富士そばの勝ちだと思いました。

それであまりお気に召さぬまま、マクドナルド(その他のハンバーガーも)から遠ざかっていたのですが、子供が出来て(玩具目当てで)買わされるようになってからは、普通に食べるようになりました。

味云々より、原体験の屈辱に避けたい理由があったのかも知れません。

 

さて30年前のマクドナルドの値段と言うと(30年前の値段がテーマでした)、高度成長の波に乗って200円。

その後210円まで上がり、平成になってから落ち着くのですが、バブルがはじけ、こんどはハンバーガーチェーン各社は軒並み値下げ合戦を始めます。

マクドナルドは平成8年には創業時の80円、さらに65円まで大幅値下げの攻勢に出て、売上げを倍に伸ばします。

ハンバーガー戦争と呼ばれたこのダンピング合戦は、様々な業界に波及し、平成デフレスパイラルの一因にもなっていきます。

さて現在の値段はと言うと、ハンバーガー単品は120円のようです。

地域格差があるので統一でないらしく、それに買う時はいつもセットで買ってしまうので良くわからなくなっています。

セットで買うとお得なのに、実際は単価が上がっている。

安く上げようとすれば出来るのでしょうが、何故かいつも高いなあと感じてしまうのは僕だけでしょうか。

 

30年前の僕は喫茶店の店長で、一軒隣がマクドナルドでした。

それでマクドナルドの店員(クルーと呼ぶそうです)が常連のお客さんでした。

いつも熱いデスカッションをしていて、なんと向上心に長けた従業員なのだろうと感心していました。

そんな時、ビジネス雑誌の記事で、マクドナルドの給料体系が紹介されていて、頑張ればそれに応じてステージが上がり、給料も上がっていくシステムが載っていました。

なるほどそれで頑張れるんだと感心していたら、店長の給料も出ていて、なんと僕の倍以上もらっているではないか。

喫茶店一番店を目指し、一心不乱に駆け抜け少し疲れていた頃なので、正直へこみました。

お金が欲しかったわけではないけど、給料は評価でもあるわけで・・・、若者の価値観は他人の目に頼りがちなものなのです。

 

今回はマクドナルドで埋まってしまいましたが、こんな映画もありました。

食品や栄養、あるいは肥満や病気に興味がある方は必見です。

http://www.youtube.com/watch?v=RhtdswVwpDk

 






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最終更新日  2013年06月07日 17時42分04秒
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