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晴れの休日。予定も無いのでウォーキング。
出掛ける前に家内を誘ってはみたが、気の無い返事なので独りで出発。 自宅から淀川の河川敷までは1kmと少々。 グランドでは少年たちが野球にサッカー・ラグビーと、健全な汗を流している。 私はというと息を切らして身体を動かすような激しい運動は初めから無理だと思っているのでただ黙々と歩く。 若者たちの姿と独りで歩く自分を対比してみるとまるで老人のリハビリのようにも思えて、ワンパターンのウォーキングからステップアップしてみては?!と自問したりするが、どうも踏み出せないでいる。 そんな事を思いながら枚方大橋をくぐる。ここまでくるのに約1時間、5kmほど。 枚方までは野球・サッカーグランド、テニスコート、バーベキュー広場などがあり、休日は多くの人出がある。 この先からはそういう施設が比較的少ないので、林の中を小鳥のさえずりを聞きながら長閑に歩く。 この日の淀川はまるで湖のように川面が静かで、景色が鏡に映したように上下対象の風景が楽しめる。 また、気候も穏やかで、風も無く、薄い雲が広がって日差しを和らげてくれるので暑くなく快適に歩ける。 河歩きを始めてしばらく経つが、いつも変わりばえの無いコースを繰り返し歩いている。それはそれで季節のうつろいや草花の成長や変化が感じられてその都度新鮮には思える。 けれど、やっていることがマンネリのように思えることもある。 年齢を重ねると、変化を好まず同じ事をすることで安心感に浸り、さらにそのまま歳をとってしまうように思う。 何とかすべきだと思うのだが、どうも踏み出せないでいる。 独りで歩いていると、急に人恋しくなる。誰かを誘ってくればよかったと思いながらも、こんな道楽に付き合ってくれる物好きもいまいと、諦めてしまう。 前回歩いている時には娘に連絡したが、この日は京都に住む甥に電話してみた。 が、不在だった。仕方なく歩き続ける。 歩きながら色々なことを考えてはいるのだが、思い浮かんでは消え、思い浮かんでは他の事に考えが移り、実にとりとめが無い。 まとまった前向きなところまで考えが立ち行くことが無く、途中で気移りしているのが解る。 しかしながら、青空の下、自然の中での思考はマイナーな考えに陥ることがなく、比較的気持ちは明るい。 川沿いを牧野・楠葉辺りに来るとゴルフ場を横目に歩くことになる。 そういえば永い間ゴルフもしていない。スポーツらしいことは何もしていない。 さらに行くと橋本になり、いつもはここで河歩きを止めて、電車に乗るが新しく道が出来ているので八幡まで歩く。 八幡の駅で時計を見ると4時間経っていた。約20kmは歩いたと思う。 時間も早いので、いつもの独り贅沢をする為、十条のステーキハウスへ行くことにした。 いつもは京阪電車で鳥羽街道まで電車に乗って国道十条まで歩くが、疲れもあって丹波橋で近鉄線に乗り換えた。 電車に乗ってふと前の座席を見ると見覚えのある方が座っている。 以前、歴史の飲み会で一度だけお会いしたことがある方だ。 相手は気付いていないようで、連れの方とお喋りをされている。 声を掛けようか?止めておこうか?迷ったが、思い切って声を掛けてみた。 失礼だとは思いつつ話している内に何とか思い出していただいて、通じることが出来た。 十条駅に近づいたので、挨拶もそこそこにお邪魔した。 その方の知り合いであるKさんに電話で事情を話し、お声掛けした方のお名前を確認したが、飲み会の時にはお目にかかっただけで、特に話をさせてもらってはいない方だった。 Kさんへの電話の後、やや恥ずかしい思いになり、Kさんにも意味の無い連絡をしたようで、歩きながら赤面するのである。 その後、いつものように独りで食事をし、酒を呑み、程よく酔っ払った。 考えてみれば、一体自分は何をしているのだろうか? いい歳をしたオッサンが少女のように人恋しさに電話したり、一面識だけの人に声を掛けたりと、やっていることが幼いように思った。 まだまだ大人になりきれていない、幼稚な自分がそこにあってもがいているような未熟さを感じるのだった。 人生の折り返し点も過ぎて、これから先は下り坂を行きつつあるのに、なんとも不甲斐ないと思う。 独り歩きも好いが、もう少し人と協調しながら、有意義な時間作りが必要ではないかなと思うのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年05月10日 11時59分24秒
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