大震災から2ヶ月の時が流れました。
このブログは震災の一ヶ月ほど前に休止しましたが、震災後このブログを見てくださっていた方からメッセージ・メールをいただいたりしました。
個別にお返事をさせていただきましたが、ご心配いただきありがとうございました。
もっと早くこちらの状況をお知らせしたかったのですが、震災から受けた衝撃が大き過ぎてなかなかPCに向かうことができず、現在に至りました。
遅くなりましたが、震災の記録です。
3月11日午後2時46分、私は自宅にいました。
青空が広がり、暖かな日差しの差しこむお天気の良い日でした。
しかし、2時半頃でしょうか、ふと窓ガラス越しに空を見上げると、真っ黒な雲が迫ってきています。
その時は「お天気崩れるのかな?」くらいにしか思わなかったのですが、これは大地震の前兆だったのかもしれません。
3時から韓国ドラマを見ようと、リビングに移動した時です。
「ゴォーー」と不気味な地鳴りがして、揺れが始まりました。
『これは大きい地震だ!』と直感しました。
家がきしみ、ガタガタゴトゴトと家具が揺れる音、カチャカチャと食器の動く音が徐々に大きくなっていきます。
そのうち棚の上のモノが落ちる音が響き、食器の割れる音も聞こえます。
リビングのリビングボードや液晶テレビ、隣のダイニングのペンダントライトがものすごい勢いで揺れています。
3連のペンダントライトは1m以上揺れていました。
しかし、どうすることもできません。
まるで腰が抜けてしまったかのように、リビングの中央に敷かれたラグの上から動くことができないのです。
大きな横揺れがいつまでも続き、これ以上揺れると家が倒壊するのではないかという恐怖で体が震えます。
横揺れは非常に長く感じました。3分くらいかと思いましたが、実際には5分も続いていたとのこと。
やっと揺れがおさまっても、恐怖で体の震えと涙が止まりません。
窓際では、モコ(トイプードル)が全身をブルブル震わせて動けずにいます。
ぎゅっと抱きしめて2人で震え続けていました。
2時46分の本震の後も数分ごとに強い余震が続き、恐怖でどうしようもなくなって外に飛び出しました。
そうしたら、近所の方たちも数人道路に出てきていて、みなさんぼう然としていました。
この場所に長く住んでいるのでお付き合いが長く、お互いに励まし合って心強かったです。
家の中は、棚の上のモノが多数落下し、食器がいくつか割れ、特に2階は小箪笥や人形ケースが落下しガラスが散乱してすごいことになっていました。
我が家は5年前に全面改装をして耐震補強を入れたのですが、それをしていなかったら倒壊していたかもしれません。
庭に出てみると、背の高い方の灯篭が崩壊しています。
重たくて動かすことができず、現在でもこの状態です。
テレビをつけると、千葉県北西部は震度6弱。
過去に震度5弱まではありましたが、今までに経験したことのない大きな地震です。
子供の頃から近いうちに関東に大きな地震が起きると言われ続けていたので、関東直下型かと思いましたが、震源は東北沖とのこと。
ほどなくして東北各地に津波が押し寄せて田畑や住宅を飲み込む映像が映し出され、これは大変なことになったと、震える手でただただ目の前の映像を見ているしかありませんでした。
母はこの日に限って外出していました。
茨城県に住む退院したばかりの友達の家にお見舞いに行っていたのですが、友達の家を出て駅に向かう途中で地震に遭遇。
終日電車が止まり、帰宅することができなくなったため、避難所で一夜を明かしました。
困ったのはなかなか連絡が取れなかったこと。
携帯はお互いにかけても全くダメ、夜になって母が公衆電話から自宅の固定電話にかけた電話が1回だけ繋がりました。
車があれば迎えに行けたのですが、その週はちょうど車検に出していたため行けず。
しかし後に、この日は車で出歩かなかった方が正解だったことを知ります。
弟は千葉県内から都内で働く義妹を車で迎えに行ったのですが、道路は大渋滞で自宅に戻って来れたのは翌朝でしたから。
その日はモコと2人で一夜を明かしましたが、一晩中余震が続き、テレビからは信じられないような映像が流れ続け、結局一睡もできないまま翌朝を迎えました。