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カテゴリ:カトリック
第一朗読ローマ 5・12、15b、17−19、20b−21
使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。 福音朗読ルカ 12・35−38 ルカによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。」 【任意・10月22日 福者ヨハネ・パウロ2世教皇】 教皇ヨハネ・パウロ2世(カロル・ヨゼフ・ヴォイティワ)は1920年にポーランドのワドヴィッチに生まれた。 司祭叙階の後、ローマで神学を修めて帰国し、司牧活動や神学教育に携わった。 クラクフ教区の補佐司教を経て、1964年に同教区大司教に任命され第2バチカン公会議に参加。 1987年10月16日、ローマ教皇に選出され、ヨハネ・パウロ2世を名乗った。 とくに家庭、青年、病者に対する使徒的熱意にあふれ、世界各地へ司牧訪問を行った。 教導職の努めを多くの分野で果たし、『カトリック教会のカテキズム』ならびにラテン教会と東方教会の『教会法典』を公布した。 2005年4月2日(復活節第2主日〔神のいつくしみの主日〕の前晩)にローマで死去。 (カトリック中央協議会刊『毎日のミサ』2013年10月号 より) 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です 明治期長崎のキリスト教 カトリック復活と お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.10.22 07:25:16
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