昨夜は
午後7時過ぎに
全てが嫌になりベッドに横になります。
今朝は
6時に眼を覚まします。
何も出来ません。
何もしたくありません。
目覚まし時計を
8時にセットして眠ります。
職場に休暇の連絡を入れ、ベッドでタバコを吸います。
我が部屋猫〈かふん〉が
開けたドアから飛び込んできます。
「猫餌」を一身に食べ、直ぐに外に飛び出していきます。
外は昨日とは打って変わった
上天気。
しかしながら
体調は戻りません。
何時の間にか
眠ってしまったようです。
「猫神」は
自分の部屋で
「ステーキ」を食べている夢を見ていたようで
、「ご飯を食べよ」と起したら怒られました。
午後1時過ぎに独りで「野菜タップリお弁当」を食べます。
パソコンを立ち上げ少し遊びます。
パソコンをダウンした途端、凄い厭世観に包まれます。
『何もしたくない』と
何回も口に出して呻いていました。
「杉の花粉」は、厭世的になると「独りで篭る」傾向にあります。
体調は如何しても戻らない。
誰とも話をしたくない。
完全に手も足も出ない状態です。
鬱屈した思いが込み上げてきます。
とても眠れる状態ではありません。
取り敢えず何かしなければ鬱屈した思いに押し潰されてしまいそうです。
パソコンに向かいます。
そこで、
思いのたけをブツケタのが、
『盲獣が咆哮する声』です。
如何手直しをしてもあれ以上の言葉が出てきません。
『荒れ狂う思い』を乗せる言葉が見つかりません。
世の中の全てとシガラミを断つ。
一身に思い続けていました。
「猫神」が
部屋に現れても、ろくに話ができません。
彼女は部屋に戻っていきます。
シッカリ「お弁当」を抱えながら。
文章に限界を感じてしまいます。
『辺見庸』なら
もっと客観的に
もっと適切な表現で、
自分の置かれた状況を語って見せたことでしょう。
狂気を孕んだ全てのものへの嫌悪。
その最たる目標は自分自身。
「うつ」の症状ではありません。
生きることのもどかしさ。
それを如何することもできない歯痒さ。
根源的な不信感。
全ての思いが「一匹の盲獣」となって身体の奥底から咆哮しています。
それを押さえることも出来ずに唯ジッとしている。
それを表現すら出来ない哀しさ。
哀れな時間でした。
何時の間にか眠ってしまいます。
「猫神」が心配して顔を出します。
「お茶」を用意してくれたり、一歩も外に出られない彼女がタバコを買って来てくれたりしたようです。
言葉ではなく、行動で一所懸命に慰めてくれました。
〈かふん〉も外から部屋に戻ってきて、「杉の花粉」の隣で丸くなっています。
頭を撫でたりお腹に触っても嫌な顔もせず、ただ横で丸くなっています。
再び昏睡し、気が付いたら午前2時を過ぎていました。
部屋には、「猫神」が入れてくれたペットボトルに一杯のお茶とセブンスターがその上にチョコンと置かれています。
〈かふん〉は座椅子に移り丸くなって眠っています。
いま『盲獣の咆哮』は聞こえません。
また何時か、眼を覚ましては暴れまくるのでしょう。
でも、それが「杉の花粉」の人生です。
ただ、ズッと独りっきりで耐えてきました。
今は「猫神」がいます。
そして〈かふん〉も。
嵐が去って虚無が支配する心の中に、温かい灯がポツンと灯っています。
「猫神」や〈かふん〉は『青い鳥』だったのかも知れません。