テーマ:たわごと(26815)
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今は、むかし。
日本は、まだまだ貧しくて みな、日を日に継いで、爪に火を灯しながら生きていた。 子どもたちは、そんな両親の背を見て育ち 未だ知らぬ贅沢を乞うでなく、空き缶を履き、草を吹いて遊ぶ。 遊びも、習いも、食べ物も みんな、年長より教えられ、疑うことなく、習俗を纏っていく。 直に触れ合い、教えられれば、自然と慕うようになる。 年長と年少、年寄りと子どもたち、そして、親と子と。 全ての関係は、同値でなく 曖昧なままに、けれど、明瞭とした、支配と従属の掟。 それは、ただ、忍従を強いるでなく、一服の清涼感すら感じられた。 いつの頃からか みな、ひとりでいるを好み、他人(ひと)と分け合うを知らず、ひとりで喰う。 ムラの教えは忘れられ、ただ、無機質なTV画面、機械的な赤の他人に替わる。 それが、近代教育と持て囃され 当然の支配・従属は、殊更に否定されて、平等と云う言葉が、ひとり歩きを始める。 そして、いま。 あたしたちは、とっても素敵な日本を、体感してる? 『85歳男、妻の元恋人を襲い逮捕』って、あのね。 とっくに「従心」も過ぎて、妻の元カレにナタを振り下ろす、ですか? ゲート・ボールが、唯一、お年寄りの娯楽だったころ 「なぜ、俺の球ばかりを狙う!」って、殺人事件があった。 たしか、老人ホームで、老婆を奪い合って、殺傷なんて事件も、その頃だ。 何も、今の老人だけが、惨(むご)い訳ではないんだが。 ほんと いくつになっても、ヒトの「業(ごう)」は深い。 70にもなれば、「心の欲するところに従えども矩(のり)をこえず」。 それって、すこおし無理がある。 あたしの、今の心に従えば、たぶん、世間さまは、ムチャクチャになる。 なのに あと、数十年ぽっちで、それが、見事に加工・修正されるとは、とても思えない。 だから 「而立」して、けれど「不惑」に失敗しちゃったら、後は、年を経るごと、赤子に戻る。 その方が、余程に現実的じゃない? そして 『高校2年の少年、逃げる祖父追い刺した可能性』って記事。 不登校を難詰した祖母は、撲殺。祖父は、刺殺とか。 就寝中に襲われた祖父は、起きて室内を逃げ、背後から包丁で複数回、刺されたらしい。 どうして、おじいさんは逃げちゃったんだろう? いや、動物として、その身に危険を感じたら、逃げる。 それは、当然の反応に違いない。 でも、ね。 一緒に暮らす孫に、何時も小言を言い、孫は不満を溜め込んで、挙句、殺意すら抱く。 それに、なぜ、気が付かなかったのか? 気付いて、死にたくないなら、枕元に、金属バットくらい用意しとくでしょ?ふつう。 一緒に暮らしながら、互いの心は、ばっらばら。 けれど、年寄りは、当然の顔をして、コゴトを言い放つ。 あげく、一番かわいい筈の孫に、殺されちゃう。 どこで、どう間違ったのか? たぶん、最初っから、全部、間違いだったんだろう。 幼い時分から、可愛がり、そして、きっちり躾ければ 悪ふざけに、すこおし叩いたくらいじゃ、ネコでも、嫌わない。 別に、児童虐待を肯定したい訳ではない。 けれど、物心付くまで、子どもは、一種の動物だ。 その子が、ホントに危ないこと、イケナイことをすれば、叩かなきゃ仕方ない。 それは、唯一、親にだけ認められた「義務」だと思う。 あたしは コンセントに、ピンセットを突っ込もうとして、親父に追いかけられた。 300mくらい、裸足で逃げて、捕まって、両頬を叩かれた。 それから、あたしは、二度と同じことを、していない。 扇風機に、手を突っ込もうとして、嫌いなオカズを投げ出して いつも、両親に、代わる代わる、叩かれた。 あたしだけが、ハチャメチャだったのか?弟は、要領が良かったのか? どー云う訳か、ふたりの弟が叩かれたシーンを、あたしは、思い出せない。 田舎では、一番上をキツク育てて、下は、それを見て育つ。 そのまんまの家庭だったかも。 でも、ね。 あたしは、少しも両親を恨んではいない。 だって にっこり笑っては、お前が、わたしたちの面倒を見るんだよ!って。 ずっと刷り込みされたから。 子の尊厳と、遠慮は違う。 親は、子の顔色を伺って、叱ってはいけないと思う。 時には、親の機嫌の悪さで、怒られている。 そんなこと、子どもは、きっちり判ってる。 けれど 機嫌が良いときにでも、にっこり抱き締めてくれれば、それで充分。 すぐに、腹立たしさや、反抗心なんか消え失せちゃう。 何年にも及ぶ「刷り込み」と、思春期・反抗期に際した、親の変わり身の早さ。 それが、あたしの実感だ。 親は、子の模範にならなきゃいけない? 冗談じゃない。 子は、その親から、ヒトの狡さ、計算高さ、悪質さ、そして、良心を学ぶ。 その思考の幅、感情の起伏の大きさを学ぶ。 いくら 良いヒトを演じたって、そんな三文芝居、まず、子どもには、見抜かれちゃう。 だから、子は、親の合せ鏡に他ならない。 祖父、祖母の「扱い」は、実は、お小遣いでなく、親の態度で決まっちゃう。 親が、扱うように、孫は、その祖父母を扱うようになる。 つまりは 自分が、きっちり子を育てたのか?その報い・答えは、孫を見れば判る。 孫に、殺されちゃうなら、その親(自分の子)を、上手く育てられなかった証拠かと。 だから 「最初っから、全部、間違いだったんだろう」と、あたしは思う。 親の振り見て、子は育つ。 それで いつも、善人を演じようとしちゃう。 自分のガキのころすら、覚えちゃいない。 そんな「残念な親」なら、その子は、親の演技すら見抜けない。 学校に入って、思春期になって、社会に出て その度に、ヒトの本性を目の当たりにして、馴染めない。 いつも良い子でいるのが、正しい筈なのに、みんな、決まって、そうではない。 そう、悩んじゃう。 いつも良いヒトを演じて、良い子でいるコトを強いる親に、相談できる筈がない。 で、いつか、爆発しちゃうと。 親の振り見て、子は育つ。 それは 思う存分わがまま言って、どんなにキツク躾けても ただ、ひたすらに子を愛してる。 そんな いかに、ひとりの人間として、有りのままを曝(さら)け出せるのか? その度量を問う「諺(ことわざ)」かも知れないね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年01月18日 04時28分12秒
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