テーマ:たわごと(26729)
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あたしは、ガキの頃から
事故で、寝たきりになるなら、いっそ、死んで。 そう お母さんに言われて、育った。 今みたいに。 車椅子の介助をしない!って 初めて入った、二階のお店を ボロクソに言って良い時代じゃなかったし。 爪に 火を灯(とも)して生活していた家庭に 寝たきりになった子どもを養う、甲斐性はない。 だから 子を想う、母の気持ち、ってのは あたしには、何とも言えんのだけど。 噴火のドサクサで 一緒に、岩陰に隠れたオジさんが、少女に上着を貸した、とか。 おふたりとも、助からなかったのは、痛恨の極みです。 当然に メディアさんは、どこも、美談と湧いて。 オジさんのお父さんは、息子を誇りに思って 少女のお父さんは、上着を貸した、オジさんに謝意を表した。 ただ オジさんのお母さんだけ 申し訳ないけど、ひとりきり逃げてでも、息子に生きていて欲しかった。 と コメントした、らしい。 そのオジさんは いつだって、正義感溢れるヒトで 困っているなら、ダレだって援けちゃうってヒトで。 あたしなんかより 何百倍も生きるに値するヒトだと、思う。 だから 上着を貸して、できるだけ、少女と一緒にいた。 そんな 彼が取った行動を、批判するツモリは、毛頭もない。 ただ 彼みたいな行動を!って 社会が、みんなに勧めるのは、どうなの?って。 「キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、 シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセンデシタ」 日清戦争を描いて 尋常小学校の教科書に載った、美談?とか。 どっかの国は 12隻で、倭軍330隻に打ち勝った!なんて 相も変わらず、歴史を捻じ曲げて、ファンタジーに夢中のようだけど。 たとえ 相手が、種子島鉄砲だって、ラッパで勝てるハズがない。 なら この喇叭手(らっぱしゅ)さんには すたこらさっさと逃げるしか、生き残る道は残されていなかったワケで。 なのに ラッパを咥えたまんま、死んじゃったなら 極め付けの、おバカさんとしか思えない。 こういうのって 歴史を捻じ曲げとらんけど、ファンタジーの世界に違いない。 それを そういう行動を ただただ、美談とする国家が在って、それに拍手喝采する国民が居て。 あげく 美談に追い詰められて、死ななくていいヒトまで、死ぬハメになる。 それは 戦争以上に、繰り返しちゃいけないコトだと、あたしは思う。 サヨクさんや市民団体さんのオカゲで 戦後、日本は とっても、優しい社会になった。 ナマボを貰って 昼間っから、お酒を飲んで、近所の少女を殺しちゃったり。 看病と、受け取っている年金額を天秤に乗せて それでも もう、面倒臭いと、寝たきりの親を殺しちゃったり。 そういうのを あたしたちは、ダレも、批難できない、優しい社会になった。 ダレが、どう、考えたって 基本的人権ってヤツは、最優先しなきゃならんでしょう? なら サヨクさんやら、市民団体さんやら、彼らだけの責任でなく あたしたちが望んで、そうなったってこと。 だから あたしが、ツベコベ言う、お話じゃない。 ただ、ね。 大昔なら、選挙前だから、ムラ中に、お餅を配ったり、お酒を配ったり。 それが、普通だったからって 今、許していいとも思えない。 けれど 政治家さんが、有権者に金品やら高価な物やら贈ったり、お金を貰って便宜を図ったり。 そうすれば たぶん、贈収賄罪とか、きっちり刑法で裁かれる。 それを なんでもかんでも、「一緒くた」にして どうだっていいコトを、ああだこうだと、決め付けるのが、公職選挙法。 毎年、毎年、改定されて 退官したお役人さんの、メシのタネに、なっている? おまけに 公職選挙法は、あまりに、細かすぎて。 ダレにも、よく判らんから 改定に携(たずさ)わるヒトは、ある意味、特権階級。 死ぬまで、食いはぐれることがない、らしい。 どうだっていい、選挙違反に いちいち、目クジラを立てては 市民団体さんが、大騒ぎして。 返って お役人さんに、べらぼうな既得権益を与える仕儀(しぎ)と相成りました。 そういう 社会的な大損害には、知らん顔で。 まして 国会にまで、公職選挙法が、どうのこうの、って ほんと、バッカじゃないの? それも、これも 選挙違反の撲滅って「美談」が いつの間にか 社会的常識を、すっかり、超えちゃって。 けど あたしたちが、自縛を好むドMの「美談」に、逆らえるハズも無く。 どうだっていいコトを なんでもかんでも、選挙違反にしちゃう、素敵な世相になっちゃった。 あげく どうだっていいコトで 国会が空転しちゃう、って…ほんと。 セマウル号沈没後の 韓国の、バカさ加減を、あたしたちは、嗤えない? 大変、申し訳ないのだけれど。 突然の噴火でも、幼気(いたいけ)な少女が、危険に晒されるなら。 それ 第一義には、連れて行ったヒトの問題でしょう? だから そういう緊急事態には ダレを助ける、でなく どうやって助かる、でいい。 せめて それを、黙認する社会であって、いい。 美談は、とっても甘美で、すっごく素晴らしいこと。 けれど あたしたちが生きるに ときとして、醜態で、泥を被ることだってある。 己が醜悪さは きっと、そのヒトの心に、終生忘れられない傷跡になって残る。 なら 美徳も、醜悪も いちいち、世間さまが、どうこういう、お話じゃない。 あくまで 当事者の問題だと、あたしは思うのです。 美談!美談!と、大騒ぎして 美徳を、自分でなく、他人(ひと)にだけ押し付ける、社会より。 他人(ひと)の醜悪さには、見て見ぬフリをして その醜態で持って、他人(ひと)でなく、自分を御(ぎょ)する社会。 そうなって、初めて 「キグチコヘイ」さんは ラッパを投げ捨てて、逃げられると思うのです。 あたしたちは 何があっても、生き延びなければ、ならない。 それが、第一義で。 美徳、醜態は、生き延びてから、考えればいい。 すくなくとも 社会が、美談を、煩雑さを、無理やりに強いて あげく、個人の生命、安寧を、危険に晒すなら。 それ 全くの、本末転倒だと思っています。 最後ですが。 少女に、自分の上着を被せた方を始め 噴火で、尊い生命を失くされた方々に、哀悼の意を表します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年10月22日 14時39分11秒
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