テーマ:たわごと(26728)
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僕が日本で生まれたことは罪なのでしょうか?
共同通信さんによると 母親が不法滞在のタイ人で、日本で生まれ育った高校が 法務省入国管理局の退去強制処分を受けた。 その 撤回を求めた口頭弁論で、彼が言った言葉とか。 もう一本 AFPBB Newsさんの記事。 英政府の対応が「恥ずべき」ものとして。 南部ブライトンの海岸に 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、遺体袋を並べた。 英政府は、地中海での捜索・救助活動について 「意図されていない形で誘引力となり、より多くの難民が危険な渡航を試み、 さらなる惨事につながる」と、支援しない方針を表明していた。 その抗議行動の一環。 750人以上の死者を出している難民船の問題を協議するため ベルギーで開催される欧州首脳の緊急会合を控えた同日 ブライトンの海岸には、200の遺体袋が並べられた、とか。 この、ふたつ。 申し訳ないけれど あたしは、何とも言えないのです。 そりゃ 無国籍状態は、可哀想で 難民さんも、可哀想。 だから 精一杯、同情します、とは言える。 けど そんなレベルを、彼らは望んじゃいない。 あたしは サヨクさん、民主党さんの細則偏重原理主義が大っ嫌い。 しょうもない規則、細則に拘ってばかり。 それが 何のために制定されて、どう、あたしたちの幸せに繋がっているか? そういう、原則論に立ち返るなら 「うちわ」が、どうとか、一票の格差が、どうとか そんなこと、ほんと、どうだっていいと思っている。 ただ、ね。 法務省のガイドラインや英政府の方針は たんなる規則・細則の類(たぐい)じゃない。 あたしたちの豊かな生活を守るか? それとも 最貧国、途上国と均質化して あたしたちの豊かな生活を捨て去るか? その ボーダー・ラインと思ってみたり。 いや いいんだよ。 日本で生まれ育った高校生クンを救っても 座礁した難民さんを救っても。 それが 彼ひとりきりなら、彼ら数人なら あたしたちの豊かさは、何も変わらない。 けれど それが契機になって、前例になって。 何万、何十万の不法滞在者さんや難民さんが、常態になれば あたしたちの生活は、決まって疲弊する。 なんだかんだで 百万人規模の難民が、日本に押し寄せたなら 速攻で日本経済は破綻する、って読んだ覚えもある。 日本の法務省さんも、英国政府さんも 人権の大切さは アムネスティごときに言われなくたって、十二分に判っている。 判っているけど なら、自国民の生活を犠牲にしちゃっていいの?って。 そのギリギリの攻防戦が 法務省ガイドラインで、英政府の方針なワケで。 それを 問答無用に批判するヒトたちって、どう責任を取るつもり? 哀しい、お話だけど。 資源や食糧に限りがあるなら ダレかを救うは、決まって、何かを犠牲にするってこと。 あたしやあなたの食べるご飯を半分にして 世界中のヒトが生き残れるなら、それもいい。 けれど それで済む問題じゃないでしょう? 食糧生産量を少し超えるまで、人口が増加して。 食べられなくなって 再び、食糧生産量まで減って、人口は均衡化する。 そうなら あたしやあなたが食べる量を、半分差し出したって、2/3差し出したって その分、最貧国の人口が増大して 食べられなくなって、再び、食糧生産量に見合った人口になる。 善意や同情や援助は 本質的に、何も変えられない。 ほんの、いっとき 飢餓に苦しむヒトビトを救えるかも知れない。 けれど 神さまだって、どビンボは子を産まないで!とは言えないワケで。 食糧が有る限り、援助を受けられる限り 彼らがする自発的な人口増は止められない。 でも、ね。 何が何でも、自分の豊かさを守りたいから、生活を守りたいから、って 飢えに苦しむヒトは、どうだっていい。 それも、どうか、と思う。 もしも あたしやあなたに、直接的な支援や援助ができるなら それに躊躇する必要はない。 私は、こうしました、って 私の行為で、何人ものヒトが救われました、って。 たとえ、虚栄心でも、たとえ、宣伝目的でも。 それで実際に ダレかが死ななくて済むなら、それでいい。 ただ 救ったダレかは、決まって子を産んで 増えた数だけ、次の飢餓が近くなる。 そういう 逆説的結末を、きっちり、覚悟した方がいい。 それが巡り巡って あたしたちの子や孫が、次世代では、飢饉で死んじゃうかも知れない。 そういう 喜劇的結末を、きっちり、覚悟した方がいい。 生意気盛りだった、あたしに 早世した母が、よく言った言葉。 世間さまに あなたが口出ししたって、仕方ないでしょう?って。 何を言っても 最後は、この言葉が返ってくる。 すっごくアタマにきて。 みんな、そういう発想だから 社会は、何も変わらない!って言い返すのだけど。 問答無用と 却下されちゃって、もう、あたしに言葉はない。 だって それ以上逆らうと、ご飯を食べさせてもらえないもの。 こうして 世間さまには、強者(お母さん)と弱者(あたし)が、歴然と存在していて。 どんなに、偉そうなことを言ったところで 弱者は、強者の温情に縋(すが)ってしか生きる術(すべ)はない。 良いとか、悪いとかでなく それが、現実ってヤツ。 それを 前提と受け入れられない限り、あたしたちの立ち位置は、砂上の楼閣。 下手すりゃ 周りのみんなを巻き込んで、奈落の底へとまっしぐら。 そう きっちり、かっちり、教え込まれた、ような。 べつに 社会的格差を是認して 弱者さんは、一切合財を受忍したら?と言いたいんじゃない。 ただ、自分を弱者と考えるなら 己が困窮だけ訴えればよく、それを、普遍的社会悪と糾弾するのは、行き過ぎかと。 まだ、ガキで 親に食べさせてもらっていた、あたしでも あたし自身の窮乏を訴えるのは構わない。 通学靴に穴が開いたとか、体育着が破れたとか そう話せば どんなに、どビンボたって、必ず、新しいのを買ってくれた。 ただ 他人(ひと)に食べさせてもらっている分際(ぶんざい)で 世間さまを、どうのこうのは、百年早い、って。 大上段に、何か言いたいなら きちんと言える立場になってから、言いなよ、って。 母が言いたかったのは たぶん、そういうことなのでしょう。 まあ、日本って国は 立場が上がるに連れ、余計、何も言えなくなる不思議な国なワケですが それは、それとして。 生活保護費とか、中小企業緊急借入金とか どうして、みんな申告主義なのか知ってます? あたしが答えを知っているハズが無いけれど。 申告を不要にして 対象者さん、対象企業さんに自動的に給付しちゃったら、速攻で、国庫が空になる。 それくらい ダレが、どう考えたって判るでしょう? それは 全員を救済しない、ってんじゃなく。 ヒト、企業によって困窮の質が異なるから ある程度、幅を持たせていないと、いきなり死に瀕したヒト・企業を救えなくなる。 そういう 臨機応変な弱者救済の仕組みって側面がある? ただ、幅を持たせているので 全対象者に自動支給しちゃうと、国庫が空になる。 そうして ケース・バイ・ケースを前提に、セーフティ・ネットを張って あたしたちの生活を維持しながら、死に瀕したヒト・企業を救済している。 だから 冒頭の高校生クンは救われていい。 沈没した船から逃げおうせた難民さんは救われたっていい。 ただ 彼らが救済されるのは、緊急の個別案件であって それを、今後の前例にしちゃいけない。 ただただ、可哀想で それが普遍的な救済事例になっちゃうと、日本は、世界は、その均衡を失っちゃう。 先進諸国の富裕を全部注ぎ込んだって、世界中の貧困は救えやしない。 そういう現実を直視したとき 自分の子や孫が飢え死んだって、それでも、あなたは、貧困を救いますか? みんながみんな、聖人君子じゃない。 けれど みんながみんな、鬼畜米英…失礼、鬼畜生じゃない。 あたしたちの優しさは いつだって絶対的でなく、たまたまの相対的であっていい。 吉本隆明さん?のエヴァンゲリオン症候群じゃないけれど。 あんがい、あたしたちは 身近な交友関係とか、その生活環境で持って 中間項をみんな素っ飛ばして、いきなり、終末思想に直結しちゃう。 とってもイヤなヒトがいると そのヒトを、どうするでなく、いきなり、世界もろとも滅んじゃえ!みたいな? 苦笑いした、あなた。 なら 貧困に苦しむ人たちがいます。飢饉で、今にも死んじゃいそうな人たちがいます。 それを そのままに放置するなら、私たちに未来はありません。 これも いきなりの終末思想じゃないですか? なんでもかんでもと、それも大上段に 眼に見えぬ、見知らぬヒトまで救いの手を差し伸べる。 そうしたいなら、そうすればいい。 けれど 自分の眼に映る範疇に限って、困っているヒトを救いたい。 そういう優しさも、あっていい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年04月28日 12時23分41秒
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