テーマ:たわごと(26767)
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BuzzFeed Japanさんの記事です。
『地球を守る遠○賢司、いなくなって寂しい』 シンガー・ソングライターの遠○賢司さんが死去した。 エンケンさんと言えば、浦○直樹さんの漫画『20世紀少年』の主人公、遠○ケンヂの 名前の由来となったことでも有名。 『20世紀少年』は、かつてロックミュージシャンを夢見ていたケンヂが幼なじみらとともに 世界征服をもくろむ謎の組織「ともだち」と闘う物語。 浦○さんは 「ケンヂは地球を守る男という設定。 苗字を決めることになり、地球を守るケンヂと言えば、遠○賢司しかいないだろうと。 それで、同姓同名にさせていただきました。 地球を守る遠○賢司がいなくなってしまって寂しいです」と語る。 「不滅の男」に登場する《「頑張れよ」なんて 言うんじゃないよ》という歌詞をめぐって、 浦○さんはエンケンさんから、こんな話を聞かされたという。 「あの歌詞によって、『頑張れと言ってはいけない』という風に思われてしまったけど、 自分は人に『頑張れ』という言葉を掛けるのは大好きなんだ、とおっしゃっていました」 東日本大震災の後、震災をテーマに漫画を描くことになった浦沢さんが、 「頑張れ」という言葉がタブー視されている風潮への疑問を口にすると、 エンケンさんは「いや、『頑張れ』はいい言葉だと思うよ」と答えたという。 「ご自身がそう言われた時に、『言うんじゃないよ』と突っ張るのも、 ひとつのエンケンさんらしさ。 ただ、『頑張れ』が悪いことのように受け止められることに対しては、 内心忸怩たるものがあったようです」 「心を込めた『頑張れ』は素晴らしい言葉だという思いがあったのではないでしょうか」とか。 「ご自身がそう言われた時に、『言うんじゃないよ』と突っ張るのも、 ひとつのエンケンさんらしさ」??? なんだか、この漫画家さん。 あたかも 漢気(おとこぎ)やら、よっ男前(おとこまえ)!みたいに仰ってますけど… あなたって 心身とも、とっても幸せな人生だったのかしら? 何もかも嫌になって、疲れ切って。 もう どん底の毎日ですよ、って苦笑いしていたら さらに 二段底、三段底と堕ちて、泣き喚(わめ)くどころか、表情が固まって動けない? そんなとき 頑張ってね。とか、一緒に頑張りましょうよ。とか とっても 暖かい言葉?をかけられましても…ねぇ? いやいやいや あたし、こんなに見えて、けっこう頑張ってんですよ。 息をするのも辛いなか 精一杯、頑張って生きてんですよ。 なのに これ以上、あたしに、どうしろと?どう頑張れと? 《「頑張れよ」なんて 言うんじゃないよ》 そんなもの 漢気でも何でもないですよ。よっ、男前!でも何でもないですよ。 ただただ 泣き疲れた果ての哀しい笑顔、落胆。放心。 たとえ、経験がなくても そういうの 想像できませんか? ……… ただ、ね。 ♪気が狂いそう やさしい歌が好きで ああ あなたにも聞かせたい ……… 叫ばなければ やり切れない思いを ああ 大切に捨てないで 人にやさしく してもらえないんだね 僕が言ってやる でっかい声で言ってやる ガンバレって言ってやる 聞こえるかい ガンバレ やさしさだけじゃ 人は愛せないから ああ なぐさめてあげられない 期待はずれの 言葉を言う時に 心の中では ガンバレって言っている 聞こえてほしい あなたにも ガンバレ!♪ かなり古いですけれども THE BLUE HEARTSさんの『人にやさしく』です。 日々の人熱れ(ひといきれ)に倦(う)んで ちょっとでいいから 放って置いてもらえませんか? ……… そんなときは ダレの言葉も聞きたくない? と言うか すっごく疲れるんですよ。聞いているだけで。誰かと相対(あいたい)しているだけで。 だから 何も言って欲しくない。何も聞きたくない。 ただ そんな自分に、一番、嫌気がさしているのも、他ならぬ自分自身なワケで。 そういう 窒息しそうな喧噪、言葉、言葉の洪水のなか。 同時に 閉塞しきった、静寂・孤独感のなか。 ひとりきり どうしようもなく ♪叫ばなければ やり切れない思い♪を抱え込んじゃっている。 そんなで あたしたちは他人(ひと)に何を求めるのでしょう? 耳障りのいい言葉? ただただ 無言で、一緒にいてくれる気遣い? いつもの やさしい微笑み? なんも 気を遣わんでいい仏頂面(ぶっちょうづら)? そういうの ヒトによって、その時々によって ずいぶん 違ってくると思うんですよ。 そうですよ。 ほんの、ちょっとだけ やさしくしてくださいな、なんて、高望みはしません。 ただ、出来ることなら 遠くからでも見ていて欲しい。 お暇なときには、気にかけて欲しい。 あたしは、いつだって 独りきりじゃないんだよ、と、ときどき思い知らしめて欲しい。 それが ときに、ダレかが口にする「頑張れっ!」って言葉かも知れません。 たとえ 場違いでも、期待外れでも かえって こっ恥ずかしくても、情けなくても。 誰かが、誠心誠意 あたしのために言ってくれる「頑張れ」って言葉。 それは 何物にも代えがたく、あたしの心を癒(いや)してくれる。 そういうものじゃないですか? これまで、あたしたちは 左と言われれば 何の疑いもなく、きっかり左を向いてきた。 それが行き過ぎて。 最近じゃ 右と言われもしないウチから そうだろう、そうに決まっている、と。 みんな 一斉に右を向いちゃう律義さ?礼儀正しさ? けっか。 震災、豪雨、自然災害に人為的災害。 被災者さん、犠牲者さん、遺族さん などなど すでに、わたしたちは充分、頑張ってんですよ。 もう、これ以上は… なんて 漏(も)れ聞くと。 頑張って!は止(よ)しましょう。一緒に頑張りましょう!は止(や)めましょう。 と みんな一律に、同じ方角を向こうする? あのですね。 頑張れ!や、頑張って!は たんなる言葉じゃなく ときに 誰かへの「一途な想い」だと思うんですよ。 殊更な誰かへの想いは しない方がいいですよ。やめた方がいいですよ。で とめていいお話じゃない。 てか とめられやしませんよ。そんな簡単に。 ダレかが、ダレかを 心の底から 愛しく思う気持ち。誠心誠意の慈(いつく)しみ。 それに触れたとき あたしたちは、心底、ほっとできる。 そうして いつしか こころの底から他人(ひと)にやさしくなれる。 頑張って!って言葉を 言った方がいいのか?言わない方がいいのか? なんて 日和見(ひよりみ)で技術論的な議論じゃない。 あたしたちの言う「頑張って!」は ひたすらな思いやりか?ただの口癖か? あたしたちは 真摯(しんし)に、そのヒトと向き合っているのか?向き合う覚悟があるのか? 言葉を口にする前に それぞれの心に問いかけてみる。 言葉の是非、タブー視なんて上っ面(うわっつら)じゃなく そっちの方が よっぽど重要じゃないのかな? きっちり覚悟があるなら ちったぁそっとのタブー視なんぞ痛くも痒(かゆ)くもないでしょう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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