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カテゴリ:福岡県
福岡県粕屋郡新宮町 『相島①』の続き。
相島積石塚群。国指定史跡に指定されている。島の北東の長井浜にある、古墳時代中期から後期にかけて造られたといわれる積石塚群。長野県にある大室古墳群と並び日本を代表する積石塚群とも言われる。一般的に古墳は土を盛って造られるのに対し、こちらは全て石積みのみで造られており、その数は254基にも及ぶ。約500mにも及ぶ丘の上に所在し、遺跡の南側に古い積石塚が造られ、北に行くほど新しいものになっている。 相島北塚(1号墳)。遺跡の最北端にある、横穴式石室の円墳。主体部の大きさは約2m×約1.5m、高さは2mほど。6世紀中頃に造られたもので、何度か追葬が行われ7世紀まで使われていたという。過去の発掘調査で須恵器と土師器が見つかった他、剣、刀子、鏃などの鉄製品が20点以上発見されており、これらの遺物は新宮町立歴史資料館に展示されている。 相島大塚(120号墳)。東屋のすぐ近く、遺跡の中央部に位置する前方後円墳。5世紀中頃に造られたもの。全長は20mで、前方部は約4m×約6m、高さ約1m。後方部は2段築成で約12m×約14m、高さは約2.5m。遺跡の中では最も大型の積石塚となっている。後方部は大きく壊れていたため、発掘調査の結果に基づき復元が行われている。 相島南塚(142号墳)。120号墳から少し南に進んだ場所にある方墳。5世紀に造られたもので、大きさは約5m×約5m、高さ約1m。相島積石塚群の中では最も残りが良い積石塚。 太閤潮井の石。中世の高麗の陣の際に豊臣秀吉の旗下の武将たちがこの島に立ち寄り、海岸から石を持って千手観音に航海安全と朝鮮征伐を祈願し、その石を積み上げてできた石山だと伝えられる。太閤秀吉にちなんで、太閤潮井の石と名付けられた。 岩宮神社。稲荷大明神を祀る。石鳥居は1919年(大正8年)に造られたもの。 タキノダン。島の北部にある見晴らしのいい展望所。ちなみに海岸の波打ち際には小さな洞窟があり、昔から航海安全や無病息災の祈願がされていた観音様(通称穴観音様)が祀られている。 有待邸跡。朝鮮通信使の迎賓館だった有待邸があった場所。 筑前相ノ島灯台。 遠見番所跡。1639年(寛永16年)に鎖国令が出て、福岡藩2代目藩主の黒田忠之の命により、異国船を監視する目的で相島に設置された物見櫓の跡。現在では当時の石垣だけが残っている。 龍王石。島の西海岸に位置する、八大龍王を祀る御神体石で、大きさは周囲7.5m、高さ2.1m。毎年11月に豊漁を祈る龍王祭が行われている。 朝鮮通信使客館跡。鎖国が行われていた時代に、唯一国交を持っていた朝鮮からの使節団(朝鮮通信使)を接待する為に建てられた客館があった場所。客館は使節団が来るたびに新築されていたといい、相島での接待がどれだけ手厚く行われていたかがうかがえる。1994年(平成6年)に発掘調査が行われたときに大規模な建物跡が見つかり、接待に使われていたと思われる下駄、お椀、陶磁器なども多数見つかった。これらの資料の一部は新宮町立歴史資料館に展示されている。 若宮神社。島の氏神様を祀る。 若宮神社井戸。若宮神社境内にある、朝鮮通信使を接待する際の水を確保するために掘られた井戸。 若宮神社の近くにいた猫たち。 古代と中世の歴史を感じながら島を一周した後は、相島でのんびりと暮らす猫たちの写真をいっぱい撮った。 ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.19 23:17:24
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