一犬吠形百犬吠声
一犬吠形百犬吠声〔潛夫論,賢難〕「イツケンカタチニホユレバヒヤクケンコヱニホユ」【一犬物形を見て吠ゆれば,百犬その声を聞きて皆吠ゆ,一人虚言を傳ふれば、衆人実事として之を傳ふるに喩ふ。】 増補字源 簡野道明編集 角川書店発行(昭和44年2月20日150版)より 鳴り物入りで切り替わった地デジも、受信機は高価ではあるが高精度・高機能になったが、肝心のコンテンツがすっかりお粗末になってしまったようにさえ思うのは、私だけであろうか?再放送が増えたり、タレントのおしゃべりというよりだべり番組がふえたり、料理を紹介して出演者がそのまま食べるところまで放送につかったり、単純なぶらぶら歩き番組がふえたり、乗り物のなかからの風景を映し出す番組が増えたり、健康食品と称する通販CMがふえたり、受信機の高機能化と反比例するような放送内容がすっかり増えてしまったて、アナログのままでもよかったのではないかとすら、思えることがしばしば、である。放送関係者の奮起を期待するしかない。なんせ、マスコミ業界は、『国民の知り権利を伝える』という、治外法権のような「剣より強いペン」という特権を与えられているのだから・・・『唄を忘れたカナリア』ならいざ知らず、『プライドを忘れたままでペンは持ったままのマスコミ』とならないように、期待したいものである。