155 「今ここ」と「ああ無情」
tankuroです、こんにちは。
◆◆ 相田みつをさんの著書に「今ここ」の章があります。
「今ここ」一瞬の時をあらわしていて、同じ状態に止まる
ことがないと言います。
例えば、「いま」という時をそれぞれに書くと、「ま」の
字を書いているうちに「い」の時はもう消えて無くなって
いると言うのです。
それが「無情」だと。◆◆
◆◆ 「無情」とは、全ての物は変化を止める事がないと。
赤ん坊は成長してゆき、蝶々は卵から幼虫になり、さなぎ
になって長い冬を過ごして、蝶々に孵化して羽ばたき
ます。
蝉も同じで成虫になっら7日でその生命を終えます。
やはり、「無情」です。◆◆
◆◆ だから、「今ここ」を一生懸命生きましょうと。
私が天然パーマの美貌の少年だった頃、学校の給食の
時間に 館内放送で朗読が流れていました。
ヴィクトル・ユーゴーの名作「ああ、無情」です。
あつ、「レ・ミゼラブル」の方がしゅっくりします?
でも、私たちには「ジャン・ヴァルジャン」と「ああ、
無情」の方が馴染みがあります。◆◆
◆◆ ちなみに「レ・ミゼラブル」の意味は「悲惨な
人々」や「貧困状態の底辺にある人々」です。
物語は姉の7人の子供ために1本のフランスパンを
盗んで捕まり、投獄されてから始まります。
それも5年の刑だったのに4回も脱獄に失敗して、
19年牢獄に投獄されます。
46歳で釈放された彼は荒んでいました。
再び教会から1本の銀の燭台を盗んで捕まり、教会
のミリエル司教の元に警官によって引き立てられ
ます。◆◆
◆◆ ですが、心の広い司教は「その燭台は差し上げた
物です。もう片方もおもちなさい」と御心のまま許し
てくれました。
その後、ジャン・ヴァルジャンは心を入れ替えて、
仕事に励み、人望を集めて市長にまで上りつめます。
ですが、正体を暴かれ、逃亡と転落の日々を送ります。
道中で病に苦しむ娼婦ファンティーヌを救い、娘の
コゼットを助ける約束をし、逃亡を根底に波乱万丈の
質素な人生を送り、コゼットと親子関係を築いて、
64歳で亡くなります。◆◆
◆◆ 給食を貪りながら、響のいい「ジャン・ヴァル
ジャン」の活躍に心を踊ろかせ、時々深い悲しみ
にも陥りました。
アルマイトの食器に入れられた脱脂粉乳を、鼻を
つまみながら一気飲みし、大きな溜息と涙目になって
いたあの頃です。
「ジャン・ヴァルジャン」「ジャン・ヴァルジャン」
ああ、「ジャン・バルジャン」◆◆
◆◆ 目をつぶるとジャック・ヒューマンの歌声と
あの端正な顔が、、、?
あれ、おかしい?
最近のミュージカル映画ですね。◆◆
◆◆ 人は「今ここ」に、無情であって、立ち止まれ
ません。
明日の保証もありません。
「おかげさん」と感謝の気持ちで、菩薩のような
「遊び心」を忘れずに生きていきましょう!?
う〜ん?難しすぎてよくわかりません?
では、「ジャン・バルジャン」、、、?◆◆