カテゴリ:息子のはなし
ムスコとの付き合いが始まって12年半・・・
自分のおなかから出てきた子どもがこんなに理解困難なものなのか・・・ という経験を何度も何度も繰り返し、 何年も何年もそれが続いて、 最近、ムスコという人間が少しだけ理解できてきたような気がします。 人間には、 「見えるものを理解する力」 と 「見えないものを察する力」 の2つが備わっているようです。 見えるものとは、森羅万象、目に見え耳に聞こえるものと、それがつくり出す法則や理屈。 見えないものとは、人間の心の中に潜むもの。理屈では説明できない心情や感情。 人間同士のコミュニケーションは、言葉にたよる部分はほんの少しで、 90%以上(だったかな?)がそれ以外の「言外のメッセージ」 (見た目、雰囲気、立ち居振る舞いなど)で 成り立っている、と聞いたことがあります。 学業成績の善し悪しにかかわらず、 平均的な人間は、この二つの力をバランスよく持っていて、 とても幼いころから、目や耳からはいる情報と、 それ以外に感じる雰囲気とを微妙に感じ取りながら 他人との距離を近づけたり離れたりして、ちょうどよく保とうとします。 生まれ育った環境などで、そのバランスが崩れることもありますが、 そういう人でも、成長し、人の世の中でもまれるにつれて、 学習して、うまくバランスをとれるようになります。 ところが、その二つの力のバランスが、生まれつき若干どちらかに傾いた状態 の人、というのがいるのかもしれません。 ムスコは、目に見えないものを察する力が弱いような気がします。 そのかわり、目に見える物事の法則性や理屈、ルールをのみ込むのはものすごく早い。 私なんか、追いつけないくらい、早い。 そして、その法則やルールへの執着が強い。 国語が苦手で理数系科目が得意、というムスコの傾向は、 こんなところから生まれてきているのかもしれません。 そして、嘘がつけない、人にイジワルができない、結構いいヤツなのに お友だちとの距離感がつかめずに、どうしても衝突してしまう、 という、不器用な性格も、 そんなところから生まれてくるものなのかもしれません。 ド近眼の人間に、「裸眼で100m先の看板を読みなさい」と 言っても無理なように、 もともと歩けるだけの足の筋力のないひとに「普通の人と同じように立って歩け」と いっても無理なように、 もともと、目に見えないものを察する力が弱い人に、 「努力して、ほかの人と同じように、見えないものを見えるようになりなさい」 といっても、それは無理なような気がしてきました。 ド近眼の人もメガネという補助を得れば見えるようになる。 足の筋力の弱い人には補装具をつければ歩けるようになる。 ならば、目に見えないものを察する力の弱い人にも、 努力を強いるのではなく、 何か適切な補助の仕方があるんじゃないか・・・? そんなことを、つらつらと考えるこのごろ。 学校でちょっとしたハプニングがあって、学校の先生と面談をすることに なりました。 が。 以上のようなことをどう先生に説明したものか・・・ やっぱり、理解していただく自信がありません(泣) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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