連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』第100回
「1994-2001」内容1999年るい(深津絵里)錠一郎(オダギリジョー)が、アメリカへと発った。ひなた(川栄李奈)は、できる限り、回転焼き屋も続けることを決意する。が。。。その“回転焼き”にライバルが現れ。。。。。敬称略う~~~ん。。。。。どうしても、“主人公・ひなた”の英語を強調したい、意図もあるのだろうが。“字幕”については、ともかく。盛り込まれている“英語”自体が、どうみても。。。“ナレーション”と大きく変わっている感じでは無く。明らかに“大人の事情”が、影響している感じだね。もう、どうだっていいけど。ここは、 上手く誤魔化していると、考えておきます。とりあえず。1965年生まれなので、34歳の“主人公・ひなた”そこは、良いのだが。今回のエピソードを見ていて、正直、どう考えて良いのかが、よく分からない。明らかに“ナレーション”による補足が足りないために、違和感を生んでしまったのだろう。先ず第一に、英語。英会話。確かに、当初は、時代劇、映画村のために。。。だっただろう。しかし、失敗して、数年経過。奮起したのは、亡霊による部分と、母の様子。ここで、問題なのは、時代劇、映画村のことについての言及が無く。ただ単に、英語を始めたことだ。そう。話の流れから考えると、アメリカ行きを決意した母のため。。。。に見えなくも無いのだ。一緒に、祖母を探すため。。。と見えなくも無いと言うこと。明らかに、補足の不備だ。それに、回転焼きも同じだ。いまさら“呪文”を唱えて、興味を覚えた感じになったが。そもそも、コレにしたところで。“母・るい”は、“主人公・ひなた”が気づくまで、30年続けていたのだ。。。。続けていたはずなのである。だから、書いたのだ。イマサラ??好意的に解釈すれば。 母がアメリカに行っている間に、店を守るため!と、見えなくも無いのだが。コレにしたところで、明らかに好意的解釈に基づくモノで。極論を言えば、映画村の本業があるんだから、店を守る必要性は、全く無いのだ。こういったところを、ないがしろにし続けているのが、今作。丁寧さが足りなさすぎです。例えば、今回。。。一恵が店に現れる場面があった。これにしても、“主人公・ひなた”は、自室に招く必要性は無い。まぁ。。。普通なら、アリだろうが。店に。。。いや、家に、誰もいないのである。それこそ、回転焼きを焼きながら、店で話を聞いても良いわけだし。少し家に入って。。。居間?。。。ちゃぶ台の部屋。。。でも良いわけだし。むしろ、前者なら、甘味を。後者なら、家庭、家族を強調出来るのだ。自室なら。。。友人関係だろうけどね。だが、今作のテーマは、甘味や家族であって、友人では無い。そう。本来、テーマに沿って描写するならば、自室はあり得ないのである。こういうのも雑すぎます。細かいことを言うと。“恐怖の大王”にしても、同じだけどね。明らかに、そこまで、気にしているような感じでは無いのに、とってつけたように、盛り込んでいる感じだ。同じことは、映画村で英語を使っている部分にしても同じだ。そもそも。時代劇。。。映画村。。。とか言っている割に。そんな感じで、奮闘する姿は、あまり描かれていないし。描いていないとは言いませんが。。。。。奮闘以外の描写が多すぎて。今回なら、脇役の恋バナで、埋没状態だ。実際、“ひなた編”でも、“恋バナ”が多すぎて、時代劇への思い。。。。言動などが、中途半端だし。。。。もう。。。。雑すぎ。。。楽しめている人が、うらやましい(笑)最後に。“だんご三兄弟”では、出来れば。。。。田中を出して欲しかった。TBは以下のミラーへお願いしますhttp://maxexp999.blog100.fc2.com/blog-entry-7261.html