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僕の時は、今思えば無茶苦茶だった。仕事のあても何もなく、無料で貸してくれるという空き家と、わずか3反ばかりの田んぼだけを確保して田舎に飛び込んだ。妻と1歳の長男を連れて。
失業手当が3か月くらいはもらえるだろうから、しばらくは何とかなる。その間に何か見つかるだろうという全く根拠のないプランしかなかった。 田舎に行けば思いがけない仕事があるとでも思っていたのだろうか?それとも、3反の田んぼで生活できると思っていたのだろうか? しかし、不思議なことだが、全く不安は感じていなかった。それが若さということなのだろうか? ただのバカだと言ってしまえばそれまでだけれど。 でも、それがあったからこれまでの暮らしがあるわけで、本当に不思議だと思う。自分ではない何かに突き動かされたとしか思えない。 そして、困ったときにはどこからともなく助けが入り、本当になんとかなったのである。 自分はとんでもない間違いをしでかしたのじゃないかと、不安に襲われたのは40歳くらいの時で、それまでの10年間くらいは本当に毎日が充実していて楽しかった。 次から次へと出会いがあり,思いもしない出来事が起こり,退屈する暇なんてなかった。子供たちはかわいい盛りだしね。 40代は苦しかったけれど、臨時教員と農業の二足の草鞋で切り抜けることができた。マラソンと水泳も自分を支えてくれた。一番頑張った時期かもしれない。 50代は農業からほぼ手を引き、臨時教員の時代になった。収入は安定したし、農作業もなくなったから、楽だったはずだけど、気分的には不安定なことも多かったかもしれない。まあ、それまでは出稼ぎくらいのつもりだった臨時教員から農業がなくなればただの臨時教員、フリーターなわけで。 農業から手を引いたのは、農地の賃借の更新時期や機械のこと、共同経営がうまくいかなくなったことなど、いろいろな理由はあるが、一番大きな理由は子供たちがどんどん巣立っていったことだ。農業は家族労働できるところに一番の魅力があるというのが僕の持論だ。 田植えや稲刈りには僕の両親も駆けつけてくれ、3世代で作業できたことは本当に幸せだったと思う。そう、一番いい時期にほぼ20年農業をすることができたことになる。 だから、やっぱり僕にはこのやり方しかなかったのだと思う。インターネットもなかったし、道の駅もなかった。今ならもう少しマシなやり方も考えられるかもしれないけど。一番の目的は家族で協力して仕事をすることで、ビジネスとして農業を成功させることは二の次の目的だったのだと思う。 さてさて、そんなこんなで後1年のところまできた。僕の知り合いの先生には早期退職した人も多い。僕の父も妻のお父さんも早期退職組で、今の僕の年齢で、すでに引退していた。もちろん退職金も年金も全然事情は違うが、それでもなんだか少し肩の荷が下りたような気がしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.03.22 17:32:43
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