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テーマ:生き方上手(688)
カテゴリ:クスリ・自己啓発
加藤諦三(2005):「やさしい人」PHP研究所. プロローグより 人はやさしくなれれば,生きることは楽になる。 でも,なかなかやさしくなれない。 それは,やさしくなるためには,心の葛藤を解決しなければならないし,やさしい人と接しなければならないからである。 それにはどうすればいいかをこの本では考えた。 劣等感 「自分に欠けているところを認めることでやさしさが生まれる」 そのやさしさが周囲の人に安心感を与え,人々を寄せ付ける。 だから,自分に欠けているところを認めること。 「それはわかっている」と言うかもしれない。 では,頭では分かっていても,欠けているところを認められないのはなぜか? その理由は2つある。 1つは,いま述べたように,自分の好きなことがないから。 もう1つは,周囲の人と張り合っているからである。 もちろんこの2つは関係している。 好きなことがないから人と張り合ってしまうのである。 欠けているところを認められないのは,「あいつに負けて悔しい」とか,「私を軽蔑したあの人が許せない」とかいう,「あいつ」や「あの人」がいるからではないだろうか? 小さい頃,あるいは大人になってから,誰かに傷つけられることを言われた。 自分に欠けているところをバカにされた。 その時の心の傷に,その後の人生を支配されてしまっているのである。 自分を見下げた人を許せないのである。 だからどうしても,自分に「それ」が欠けていることを認められないのである。 頭の悪いことをバカにされた。 そこで,「どうせオレは頭が悪い」と投げやりになった。 あるいはことさらに,「オレは頭がいい」と周囲の人に見せる。 「オレは頭がいい」と言い張る。そう見えるための努力をする。 そして,頑張って燃え尽きる。 燃え尽きる人は意味のない努力をしているのである。 燃え尽きる時に,エリートコースに乗っていても意味がない。 エリートコースに乗っている人が生命力があるわけではない。 こうして,燃え尽きる人はいろいろと勘違いをしている。 まず,あなたの欠けているところを指摘してあなたを見下げようとする人は,ひどい劣等感に苦しんでいる。 やさしい人は心が満たされていると何度も書いてきた。 心が満たされている人は相手を認める。これも何度も書いてきた。 だから,あなたの欠けているところを指摘してあなたを見下げる人は,心が満たされていないのである。 その人があなたを認めないのは,その人自身が自己蔑視に苦しんでいる。 自己蔑視に苦しんでいる人の一言一言を,どうしてそんなにまで重要視するのか。 あなたを見下げた人は,心理的に溺れかかっている。 その人はあなたを軽蔑することで,自分の心を癒そうとしている。 実は,その人と張り合っているあなたも,劣等感に苦しんでいる。 あなたが劣等感に苦しんでいなければ,その人を問題にはしない。 やさしい人は燃え尽きない。 それは,自分の弱点を受け入れているから燃え尽きない。 やさしい人の努力は報われる。 --------------------------- やさしい人もいろんな意味がありそうです。 ここでいう「やさしい人」は,自己を犠牲にしてまで他人の期待にこたえて行動する人ではなくて,自分の意思をもちつつも,他人に思いやりを持って接する人のことを言うのでしょう。 小さい頃に傷ついた経験をもって育つと,傷つかないように他人に過度に迎合してしまうのだろうと思います。 傷つけられないようにがんばって迎合してきたにもかかわらず,他人に傷つけられた時のショックはとても大きいと思います。 ずっと劣等感に苦しめられてきたのに,それを認めてやさしい人になれというのは並大抵のことではないと思います。 劣等感があったとしても,自分の弱さをひとつずつ認めていくことから始めていくしかないのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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