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カテゴリ:クスリ・自己啓発
加藤諦三(1995):「偽りの愛・真実の愛」PHP文庫. 人間の愛のあり方 人間の愛のあり方は2つにわけて考えねばならないような気がする。 1つはお互いにうまくいっている時の愛のあり方,そしてもう1つは残念ながら諸般の事情からうまくいかなくなってしまった時の愛のあり方である。 いろいろなことから2人がうまくいかなくなってしまったとき,その人たちの相手に対する気持ちが本当であったかどうかということがわかるような気がするのである。 誰であったか忘れたが,どこかで女にとって忘れられることは憎まれるより辛いというようなことを言っていた。 確かに女にとって忘れられるということは最大の苦しみであろう。 そしておそらくそうであろうからこそ,僕は女性が人を愛するということの難しさを感じるのである。 もし人が人を本気で愛したら,その相手が幸せであることによって生きていかれるような気がするのである。 子どものことを考えるとき,親の気持ちはそうではなかろうか,子どもが自分がいないということによってさびしい気持を味わうかもしれないということが何よりも苦しいのではなかろうか。 子どもが幸せであってくれれば,たとえ自分以外の人間を父親と思ってもいい,自分以外の人間を父親と思って自分のことを忘れてしまってもいい。 自分のことを忘れても子どもが幸せであってさえくれれば,それで生きていかれるというのが愛ではなかろうか。 自分のことを忘れないでさびしがっていると思うとつらくて気がおかしくなりそうになるが,自分のことを忘れてしまったと思うとホッとする。 それで子どもはさびしくなく生きていかれるのだから。 自分を忘れることで子どもが幸せになれるなら,忘れられることが何よりの心の安らぎになる。 愛とはそうしたものではなかろうか。 ----------------------- 愛のあり方とは一つには定まりません。 誰との関係を言うかでもまた違ってくると思います。 親子か,夫婦か,友人か,恋人か・・・ ただ,相手への愛が本物であれば,相手が幸せになることをただ祈ることができるのかもしれません。 そのためには,自分のもとを離れてしまうことによる自分のさびしい気持ちすらも受け入れられるのでしょう。 愛の仮面をかぶった精神的に未成熟な人もいます。 そんな人にだまされることがあるのは,自分を愛することができずにただ他人の愛を求めているからかもしれません。 でも,子どもは親の保護なしには生きていけません。 自分の都合だけを考えた親に育てられて,抑圧された気持ちが急に爆発してしまうのも当然です。 以下は,加藤諦三氏がラジオで「テレフォン人生相談」のときの様子です。 やりとりはあまり気分のいいものではないので,気持ちに余裕のある方はご覧ください。 明らかに母親の醸し出すオーラが人を寄せ付けない雰囲気を持ってます。 世の中を見下して自分の非が認められない未成熟な母親なんだろうなと思います。 でも,電話で相談してくるぐらいなので,きっと本人は内面では自分の責任を感じているのにそれが認められないことに葛藤していると思います。 テレフォン人生相談 逆ギレおばさん 前半@Youtube(音声のみ) テレフォン人生相談 逆ギレおばさん 後半@Youtube(音声のみ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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