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カテゴリ:学校
戦前の地理学者です。
彼自身は諏訪中学で地理学者・教育者として活躍しました。 とても参考になったので全文を書き写してみました。 教科書は古墳にして,著書は墓場であるが,学会は戦場である。 したがって発表論文には,時には誤謬があり,血が出るかもしれないが,生命は脈々と迸っている。 心理を愛する学徒よ友よ,活きた知識を求るならば,学会とその機関誌とを斥けてはならない。 ―三沢勝衛の教え― 由来,教育というものは,教えるのではなく学ばせるものである。 その学び方を指導するのである。 背負って川を渡るのではなく,手を引いて川を渡らせるのである。 既成のものを注ぎ込むのではない。 構成させるのである。 否,創造させるのである。 ただ,他人の描いた絵を観照させるだけではない。 自分自身で描かせるのである。 理解の真底には体得がなければならないのである。 それがその人格そのものの中に完全に溶け込んで,人格化されていくところのものでなければならないのである。 いつまでも長く生きているものでなければならない。 したがって,地理科においても地理的考察力の訓練を重視するのである。 すなわち地理的知見の開発だけではない。 さらにその性格までも陶治し,自律的に行動しうるようにまで指導する。 過分に感情および意志に対してまでも深い交渉を持ちかけていくべきものである。 要は魂と魂との接触でなくてはならないのである。 否,共鳴でなくてはならないのである。 ―三沢勝衛「新地理教育論」より― 自律的・主体的というのが重要です。 上から教えるというのではなく,ともに学ぶ姿勢が教育者にも求められるではないか。 さらに,書物だけに頼っていては生きた知識が身につかないとも述べています。 現実に起きていることをこの目で確かめ,考察することこそ帰納的考察につながるリアリティをもった議論となります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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