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カテゴリ:社会問題
戦後の闇市でもっともにぎわった場所だが上町五丁目にあった通称五丁目の闇市。
各業種が軒を連ねていたそうです。 上町五丁目交差点の電車通りから北方面の路地です。 資料:武吉孝夫写真集「昭和51年を歩く高知市中心部の西」 しかし,1999年高知市は建物の老朽化などを理由に一方通行の歩道と車道にしました。 移転の費用は補助されたそうで,今ではかつての面影はありません。 資料:ひまわり乳業株式会社HP 道のなかほどにからくり時計があって,その銘板にいわれが書かれています。 この場所は,戦時中防災用道路として指定されていたが,終戦後被災者や引揚者対策として露店市が立つようになった。 翌年9月からは,市道の占有43区画を許可し,バラック建ての仮設店舗が立ち並び,市場としての体裁を整え,その後アーケードを設けるなど発展しながら戦後50年余り城西振興市場として,市民の生活を支えてきた。 しかし,量販店の発達等により,市場の閉店化が進んだことから高知市は「市場の役割」を終えたとして,新たに道路整備を行うこととした。 このからくり時計は高知私立第四小学校3年1組平成11年度の子どもたちの要望があって建てられたそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.09.01 09:53:22
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