カテゴリ:読書生活
【送料込】酒仙 栄光 松山浪漫セット「秋山真之」「正岡子規」「夏目漱石」ラベルお試し飲みくらべセット ↑これ欲しいっす。 「思い出すことなど」の商品リンクがないので、たまたま見っけたおもろいものを載せましたー。 夕べ、「父・夏目漱石」の最後のちょこっと、読み残していたことに気付き、読んでいたら、な、なんと、 「漱石の墓の中には、漱石の骨が埋まってない!」(かも) という、びっくりネタをゲットしました。 何でも、奥さんの鏡子さんが亡くなったとき、合葬しようとして掘ったら、骨壷が見つからなかったんだとか。 本によると、結局見つからないまま、鏡子さんのだけ埋めたということですが、その後どうなったんでしょーか。みっかったんでしょーか。大変気になります。 そういや、マリリンモンローか誰かの墓も、盗掘されたことがあると、何かで読んだ記憶があるのですが、ネット検索かけても見つからなかったので、覚え違いかもしれません。 ってか、M.Mじゃないかも知れず。ハリウッド女優・盗骨でも拾えなかった。何で読んだんだったかなぁ・・・。 骨なんて、薬にする以外どうするのか考えもつかない(←ミイラとか骨とか、昔は薬になってたときもあるのです。人肉もなー) どんなに好きな女優だって、骨になったらただの骨だよなぁ。 髄からDNA採取して、クローンを作るなんてのは、無理でしょうがね。土葬なら、もしかするかもだけど、漱石は焼いてるはずだもんなぁ。 あ、でも、高杉の墓に行ったときは、ちょっと夢見ました(←DNA採取) 高杉と子規は土葬だから、ありかもよー。(結核菌の採取というのもありだ←こっちの方が可能性は高い。なんか、エジプトのミイラからも見つかるらしいぞ>結核菌) 何はともあれ、「思い出すことなど 他7編」を読み、やっぱ修善寺では子規を思い出していたに違いない、という結論に達しました。 根拠は、この文庫に納められている「子規の画」です。 修善寺大患が43年8月で、翌年2月くらいまで入院してて、退院してから「思い出すことなど」執筆。「子規の画」が朝日に載ったのが7月らしいので、その連載終わってから書いたのがこのエッセイかな? というようなタイミングと思います。 「余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念(かたみ)だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数の経つに伴れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ散逸するかも知れないから、今のうちに表具屋へやって懸物にでも仕立てさせようと云う気が起った。渋紙の袋を引き出して塵を払(はた)いて中を検(しら)べると、画は元のまま湿っぽく四折に畳んであった。画のほかに、無いと思った子規の手紙も幾通か出て来た。余はその中(うち)から子規が余に宛てて寄こした最後のものと、それから年月の分らない短いものとを選び出して、その中間に例の画を挟んで、三つを一纏めに表装させた。」 療養中、子規のこと思い出してて、退院してから「今のうちに表具屋へやって懸物にでも仕立てさせようと云う気が起っ」て、表装に出して、出来上がってから執筆、という感じですよね? 一緒に表装された「子規が余に宛てて寄こした最後のもの」が、有名な、「僕ハモーダメニナッテシマッタ」というあれです。 冒頭が、「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ」と始まる、痛切な葉書。 読み返しながらつくづくと、自分が痛くて苦しかったときを思い出したろうなぁ。 「ただ驚ろかれたのは身体の変化である。騒動のあった明る朝、何かの必要に促がされて、肋の左右に横たえた手を、顔の所まで持って来ようとすると、急に持主でも変ったように、自分の腕ながらまるで動かなかった。人を煩らわす手数を厭って、無理に肘を杖として、手頸から起しかけたはかけたが、わずか何寸かの距離を通して、宙に短かい弧線を描く努力と時間とは容易のものでなかった。ようやく浮き上った筋の力を利用して、高い方へ引くだけの精気に乏しいので、途中から断念して、再び元の位置にわが腕を落そうとすると、それがまた安くは落ちなかった。無論そのままにして心を放せば、自然の重みでもとに倒れるだけの事ではあるが、その倒れる時の激動が、いかに全身に響き渡るかと考えると、非常に恐ろしくなって、ついに思い切る勇気が出なかった。」 私も、「思い出すことなど」を読みつつ、自分が入院していたときのことを思い出してしまった。 漱石は、8月に倒れて2月に退院、私は11月に事故って3月に退院です。正月は寝たきりでした。 まあ、漱石ほど酷い状態ではなかったし、足腰だけの問題なんで、手術終わった後は基本的に元気でしたが。 「正月を病院でした経験は生涯にたった一遍しかない。 松飾りの影が眼先に散らつくほど暮が押しつまった頃、余は始めてこの珍らしい経験を目前に控えた自分を異様に考え出した。同時にその考が単に頭だけに働らいて、毫も心臓の鼓動に響を伝えなかったのを不思議に思った。」 年末だけ、「紅白見てもいいよ」というお許しが出たので、夜中近くにやってた尾崎豊の番組を見てほくほくしてましたなぁ・・・。(あれ、クリスマス?? いや、紅白だった気がする・・・) 特別行事のあるときの病室は、ちょっとサビシイです。一生に一度で済みますよーに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 10, 2009 05:42:04 PM
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