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午前中は、昭和の新宿ということで、新宿2丁目から、西口の淀橋浄水場跡まで歩きました。
このコース、前にも書きましたが、自分のものにしたいと思っています。 大名の屋敷跡が原っぱになり、そこに家が建って、どんどん都会になっていくそのいきさつをダイナミックにとらえられたら面白いと思います。 例えば、内藤新宿から始まって、「牛屋ヶ原」と呼ばれていた空き地に移転が命じられて、大正10年にはそこに新しい「新宿遊郭」ができます。 その「牛屋ヶ原」は、元牧場で、芥川龍之介の実父新原敏三が明治21(1888)年から大正2(1913)年まで経営していたところです。芥川龍之介も明治末から大正2年まで、一高へ通うためここに住んでいました。 その牧場のことも面白いし、内藤新宿から、遊女屋(正式には貸座敷)が移ってくるまでの原っぱのことも、興味深いです。 今書いた、「貸座敷」は少し時代が戻ります。 明治6(1873)年、「貸座敷渡世規則」が施行され、遊女屋は娼妓に座敷を貸す形での営業が認められる事となったため、それまでの飯盛旅篭は「貸座敷」と呼ばれるようになっていたのです。 当時の内藤新宿には53軒の貸座敷が軒を連ねていました。 それが、大正10年までにすべて移動したのです。 移動の理由は、電車の走る表通りに娼妓の家があるのはいけない。また新宿御苑に高貴なお方が来るのに失礼。皇太子が学習院に通う道筋にあたるなどの理由からでした。 新宿2丁目は、いつのころからかゲイ・タウンと呼ばれています。 今日も歩いていて、着物姿のゲイがいました。 このいきさつも面白そうです。 そこから、ゴールデン街へ行き、歌舞伎町を見て、新宿通りを抜けて三越裏のかつての繁盛ぶりを見たいです。 映画館という切り口は1つあると思います。 戦前の映画館、戦後の映画館。 喫茶店もあります。 喫茶店としては、新宿駅前の東京パン、中村屋の喫茶部、白十字から始まって、風月堂です。 デパートも三越、ほてい屋、伊勢丹、三福、松屋などたくさん出来て、消えていきました。 調べることがたくさんあります。 午後は、夏休みに子ども達が書いたエコ日記やエコのポスターの優秀作品の表彰式があり、そのお手伝いに行きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.11.27 20:58:39
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