カテゴリ:情報的生活行為
EXTRA LIFE なぜ100年間で寿命が54年も延びたのか [ スティーブン・ジョンソン ] 引用ここから→p144 真に記念すべきことを知らない私たち(節タイトル) 一八五四年のコレラ集団発生の共同調査から数年後、ヘンリー・ホワイトヘッドは、スノウからかつてこのように言われたと書いている。「あなたと私は生きてその日を目にすることはないかもしれないし、私の名前は忘れられているだろう。しかしコレラの大集団発生が過去のものになる時は来る。病気の伝わり方の知識こそが、病気を消えさせるのだ」。 ―中略ー スノウと言う人が、コレラのブレイクスルーに貢献したことが書かれていて、その調査のアイコンである井戸ポンプのレプリカがロンドンに今もある事が説明されていて、そしてまた、別の人、、 アメリカ人のデュボイスの調査として、フィラデルフィアの黒人についての調査研究のためのデータを収集していたとする記念のプレートが現地に、これも密やかに飾られている、と言ったことが述べられ、、(以上中略部分サマリー) 引用ここから再開→p145 ブロードストリートのポンプや第七区のデュボイスの飾り板とくらべると、戦争の記念碑の数も大きさも、何だかおかしい気がする。たしかに、トラファルガーの戦いやアメリカの南北戦争で失われた命は、建てられた記念碑にふさわしい。しかしポンプが思い出させるのは、ある意味、別の種類の歴史である。それは救われた(本書中では救われたに点)命の記念であり、貧困地域の町医者が死亡者データにパターンを見つけて、伝染病への理解を変えたから(そして統計学者と聖職者がそのパターンを視覚化するのを助けたから)こそ、コレラで死なずにすんだ何十万、何百万の人々の記念なのだ。過去二世紀の歴史には、同様の勝利があふれている。とりわけ、ほんの二、三世代以前には伝染病が日常の現実だった大都市圏で、人びとの日々の生き方を計り知れないほど左右したブレイクスルーだ。そうした勝利を、戦争の勝利と同じくらい華やかに祝おうではないか。 こうした記念物の数のかたよりは、もっと実質的なアンバランスに反映されている。公衆衛生機関と軍とでは、提供される資金が違うのだ。ファーとスノウの先駆的研究から直接生まれた機関、すなわち疾病対策予防センター(CDC)に、アメリカは年間約80億ドルを費やしている。それに対して、アメリカ軍は宇宙基盤の防衛システムだけでも、ほぼ倍の金額を投じている。国家防衛費の総額はほぼ一兆ドルだ。これを書いているいま、半年間にコロナウイルスで亡くなったアメリカ人の数は、二〇世紀のあらゆる戦争でのアメリカ人犠牲者合計の半数を超えている。パンデミックのおかげで、私たちが直面する微生物の脅威は、人間の敵の脅威よりはるかに大きいことがはっきりした。そして、生命統計学と公衆衛生介入のおかげで膨大な数の命が救われたことを思うと、歴史上、私たちを安全に守るために最も重要な仕事をしてきたのはWHOやCDCのような組織であることを、あらためて思い知らされる。 その仕事を評価するにあたっては、目に見えにくいという問題がある。その仕事は、工場、超高層ビル、ロケットのような、目に見える現代のアイコンに現れることはなかった。別の場所、文字どおり見えないところ、つまり、飲料水中の目に見えない微生物の減少に、地下に建設された下水道システムに、表形式データの目立たない公表文献に、現れたのだ。こうした成果が見えにくいーーしたがって記念碑や政府の歳出に反映されない――からと言って、ジェット戦闘機や核兵器ばかりに目を向けるべきではない。これをきっかけに、私たちは視野を正すべきである。 ←引用p146ここまで。 ホラー映画も真っ青!の、重い本。もう少しかかります。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年04月02日 18時42分14秒
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