一人で出来る。あたしは大切にしよう。
介護保険の点数は、介護の度合いが上がる毎に上がる。被介護者の持ち点、と言える。このグレードの名称は自立(介護は無い)から、支援2段階、介護5段階。自立と要介護5とは、対極にある。支援と、介護、の境目とは何かと考えていたがどうも、歩行、であるらしいな。一人歩きが出来るのと、そうでないのとで境い目が出来ているなあ。。要介護1は、歩行時、杖または人の手、が必ず必要。要支援2は、なんとか見守りだけで一人で歩ける。フィジカルにはそういうエスティメーションが目安としてあるようだ。今回、ははは長男の嫁の献身的な看護により、驚異的に回復し一人で歩けることが多くなった。平坦な場所だとしっかり自分で歩く。ははにとっては、明らかにデイサービス(昼間老人預かりどころ)は外出していくところ、との認識なので外面の良い彼女は余計にしっかりした。しかし、身体がそうでも、見守りが24時間必要である場合はどうなのか。手を差し伸べる行為は必要で無い。しかし、どこに向って足を向けるか分からない場合は右左を指示しないと歩行が継続できない。食卓について、柏餅が皿にあり、おやつですと言われて身体機能は手を出し、お茶の湯のみを持ち、と、行為に移ることが出来るが、柏餅の葉っぱを取る事が出来ない、、のではなく、取って食べないといけない。という認識が湧き上がってこないので葉っぱごと、口に入れてしまう。介護者の消費カロリー的にはどうなんだろうね。見守りについて、動かないから、カロリーは低いから、人件費も低い、となるのか。この、高次頭脳労働の対価はどうなっているか。家族の場合は、子孫であれば、看るというのが半ば当然。で、義理になればしなくて良い、むしろする義務は全く無い。との声は世間様には高けれど、実際問題、せざるを得ない、というのが世間様のものの見方というものではないか。ただ、義理は看なくて良い=施設=社会化と引き上げましょうね。という行政の魂胆か、。それにしても、介護ビジネスの貧困なことよ。。ケアマネさんから連絡が入って、来週のアタマに判定会議(介護度の審査、更新=毎年やる)があるので、出て欲しい。介護者の出席は必要ないと思っていたがそういうやり方なのであろうか、、こちらの行政は。当該被介護者の日常の様子を訴えて欲しい。というわけなのだろう。当方のケースの場合、一旦、老化による身体の衰弱、と見えたのが、実はケアの手抜き、あるいは介護者の無知により、衰弱していたのだ、、と、推測せざるを得ない状況で出来なくなっていた事がまた出来るようになっているので、ややこしい。しかし、疾病の方は、誤診とかではなく、確かに認知症である。脳血管性か、アルツハイマーかは、精査する必要はあるにしても。筋肉が訓練により少しでもついてきて、運動能力が回復するように脳のシナプスも回復しないのだろうか。それとも、あのまま、放置していたらドンドン悪くなっていってたのだろうか。。脳のダメジも少しは進行を阻止できているのだろうか。いろいろ、考える。主治医は言う。一人で出来ない。これが認知症。ボクはやめる。だからあなたも、。ついでに彼も、、って響きは極めて日本的。