沖縄語ぬ特徴とぅ復興13
くぬブログぬ記事(ちじ)ぬシリーズの初(はじ)み頃(ぐる)んじ、うちなあぐちえ、「話(はな)し言葉(くとぅば)」ゆ柱(はあや)とぅしち、継(ち)がってぃちゃる経緯(いちない)ぬあいびいん。
日本語(やまとぅぐち)ぬばあや、明治(みいじ)後(あとぅ)、学校(がっこう)於(をぅ)とおてぃぬ教(うし)いぬしい成(な)さりい次第(しんでえ)、「標準語(ひゅうじゅんぐ)」ぬ成てぃちゃあに、作家(むぬかちゃあ)達(たあ)ぬすぬ創作(むぬがたい)書(が)ち、またうぬ他(ふか)ぬ文章(むんぐん)書ちゅる巡(みぐ)いぬはねえち、あんし語彙(くとぅばかじ)ん世(ゆう)・社会(しけ)んかい相応(ふさ)ゆる如(ぐとぅ)し、んずみてぃ、増(うゎあ)ちちゃあびたん。
やいびいしが、うちなあぐちえ、組踊(くみうどぅい)んでえんじ、しいなさってぃ、しいなる成さってぃ来(ち)ょおたる書(か)ち言葉あ、廃藩置県(ふぇえばんちきん)なゆしとぅまじゅん、昔物(んかしむん)けえなやい、継じゅる暇(いとぅま)ん取(とぅ)らさらな、県(知事や内務省からぬ遣え)ぬ強(し)いはっとうな習(なら)あしにゆてぃ、早々(ふぇえべえ)とぅ、先(ま)ぜえ、「書ち言葉」から日本語んかい変(か)わててぃいちゃびたん。
今(なま)ぬ語彙数(くとぅばかじ)ぬうすまさぬ違(ちげ)えみえ、書ち物勝負(しゅうぶ)ぬ違えみ故(ゆい)からなとおるむんどぅやいびいる。「書ち言葉」んでぃゆる言語(くとぅば)あ、「表現ぬ自由」とぅか法(ほう)とぬ関(か)がないや無(ね)えらな、物書(むぬか)ちゃあ達(たあ)が先走(さちば)いするむんどぅやいびいる。行政(しいじ)が言語(くとぅば)ゆ扱(あち)えゆる事(くとぅ)ぬないしえ、実(じつ)え、ようい、いふぃ小(ぐゎあ)、くうてん小どぅやいびいる。あんし、言語ぬ勝手(かってぃい)達や、傍(すば)から調(しら)びたい、整(とぅとぅぬ)いたいするうっぴどぅやいびいる。
「言語ぬ自由(じゆう)」や、何時(いち)ぬ世(ゆう)ん、まあんかいんあるむぬやくとぅやいびいん。「汝(いゃあ)言葉遣(くとぅばぢけ)えや法とぅ合(あ)たらん」んでぃゆる話(なはしい)や、むさっとぅ、無(ね)えやびらん。
言語ぬ字引(じいふぃち)んでえや書ち物、通(とぅう)ち、取(とぅ)い上(あ)ぎらてぃ行ちゃびいん。店(まちや)ぬ看板(かんば)ぬんちょうん、同(い)ぬむんやびいん。
うん如(ぐとぅ)いし、、言語ぬ為(し)しい成(な)しや、書ち言葉ぬはねえかんでえ、なてぃいかんむんやいびいん。
文:比嘉清
沖縄語の特徴と復興13
この記事のシリーズの初めの段階で、沖縄語は、「話し言葉」を中心に受け継がれてきた経緯があります。
日本語の場合は、明治以降、学校教育の普及充実とともに、「標準語」が確立し、作家らによる創作活動、文筆活動が盛んになり、語彙も時代に合わせて爆発的に増えていきました。
反面、沖縄語は、組踊などで確立されつつあった書き言葉は、廃藩置県とともに、過去のものとなり、受け継がれる暇もなく、県(戦前迄は知事は内務省から派遣)の強力な教育指導で猛烈な勢いでまずは「書き言葉」から日本語化していきました。
現在の語彙力の圧倒的差は文筆活動の圧倒的差の産物なのです。「書き言葉」という言語の部分は、表現の自由が法律と関係なく、作家・文筆家が主導するものです。行政が言語をコントールする部分は、実はごく僅かにすぎません。そして、言語学者は後追いで纏めるにすぎません。
「言語の自由」はいつの時代でも世界中どこにでも存在するものだからです。「君の言葉遣いは法に違反している」という現象は起こり得ないのです。
言語の辞書辞典は書き物を参照して採録されていきます。店の看板でさえ、その対象です。
このように、言語の進化発展は書き言葉の隆盛なくして、ありえないのです。
文:比嘉清