沖縄語ぬ特徴とぅ復興22(琉球語音)
うちなあぐちぬ復興(またうくし)んでえぬ事(くとぅ)にちいてぃぬ新聞社(しんぶんしゃ)んかいぬ書(か)ち寄(ゆ)しや、まるけえてぃなあ、あいびいしが、琉球語音(るうちゅうぐいん)にちいていぬ書ち寄しや、なんぞお、見(な)あびらん。あんし、琉球語音、実(じゅん)に使(ちか)ゆみんでぃぬ事(くとぅ)ないねえ、あいがすたら、分(わ)かやびらん。
琉球語音、実に使ゆんでぃしえ、外来語(ゆすくとぅば)、借(か)ゆるばす、うぬ語音(ぐいん)やうぬまあまあぬ語音とお、さんようい、琉球語音ぬんかい変(け)えてぃ、使ゆる事やいびいん。たとぅれえ、「警察」ゆ「きいさち」、「世間」ゆ「しきん」、「アメリカ」ゆ「アミリカ」、「オランダ」ゆ「ウランダ」んでぃち直(のお)する事やいびいん。当(あ)たい前(めえ)ぬ事、枕(まっくゎ)ぬ通(とぅ)いあらんむぬん、あせえあいびいん。
琉球語音ぬ事お昔(んかし)から知(し)らっとおびいしが、うり、如何(ちゃあ)すがんでぃゆる事にちいてえ、わかしみん無えやびらん。うぬ故(ゆい)がやいびいら、折角(しっかく)ぬうちなあぐちん借い言葉ぬ所(とぅくる)ん、またうぬ言葉ぬ前後(めえうしる)まんぐらんでえが、後(あと)ぬうんじゅみ、日本語風(やまとぅぐちふうじい)でけえなやい、まあぬ言葉がやら決(ち)わみ難(がた)さるむんないびいん。うんな事からん、うちなあぐちし、文言(むんぐん)書ちゅしん、うけいがすらん分かやびらん。
うぬ事んまた、うちなあぐちが「独立語(どぅうたちくとぅば)」がやら「日本語ぬ方言(ほうげん)」がやら、わかしみんねえらんしとぅ似(に)ちが居(をぅ)ら分かやびらん。
300年前(にんめえ)んじ組踊(くみをぅどぅ)作(つく)たる玉城張勲はじみ、彼(あ)りが後(あとぅ)ぬ作家(くみをぅどぅいつくやあ)たあや、江戸代(いどぅゆう)ぬ日本語(やまとぅぐち)、いちゃさきいなあん借やびたしが、何(ぬう)ぬうけえ思(うみ)いんさんようい、当たい前に琉球語音ぬんかい換えやびたん。琉球語(うちなあぐち)ぬどぅ自(どぅう)なあたあ言語(くとぅあ)やるんでぃぬ思(うみ)いぬ根(にい)からあたくとぅどぅやたら筈(はじ)やいびいん。
うんにいとぅ比(くな)びいねえ、今(なま)あ、うちなあぐちが自なあたあ母国語(くとぅば)やんでぃぬ思いや、無(ね)えらんなやあに、「日本語ぬ方言」んでぃぬ考(かんげ)えなかい、まるかっとくとぅどぅやら筈やいびいん。
筆:比嘉 清
沖縄語の特徴と復興22
沖縄語の復興に関連する新聞社への投稿はたまにありますが、琉球語音についての一般からの投稿は殆ど見受けません。その運用論は皆無に近いかもしれません。
琉球語音の運用とは、外来語を借用するさいの語音をそのまま発音ではなく、琉球語音に変換して活用することです。たとえば、「警察」を「きいさち」、「世間」を「しきん」、「アメリカ」を「アミリカ」、「オランダ」を「ウランダ」とする等の独自語音への変換です(例えば、「あいうえお」を「あいういう」等)。勿論、基本から外れる慣用的な例外はあります。
琉球語音の存在は古くから「知識」としては存在するものの、実践するのかどうか(琉球語音に変換するかどうか)については、曖曖昧模糊としています。このためでしょうか、せっかくの沖縄語も借用語部分とその前後が結局、日本語(風)でなってしまうという中途半端な言語になってしまっています。このことからも沖縄語で文章を書くこと自体に躊躇して、二の足を踏んでしまいがちです。
そのことは、沖縄語が「独立語」なのか「日本語の方言」なのかという認識が曖昧であることに連動しているのかも知れません。
300年前に組踊を作った玉城張勲をはじめ、以後の作家たちは、江戸時代の日本語を数多く借用しましたが、何らの躊躇もなく、堂々と、当然の事のように琉球語音に変換しました。琉球語こそわが母国語という意識が根底にあったからでしょう。当時に比べ、現代では、沖縄語(琉球語)に対する母国語意識は薄れに薄れ、「日本語の方言」意識に支配されているからかも知れません。
筆:比嘉 清