カタカナをめぐる諸問題(表記法は伝統表記を継承すべき)
うちなぐちぬ書(か)ちい様(よう)にちいてぃ、うぬ書ち様が纏ま(まとぅ)まてえ居(をぅ)らん事(くとぅ)、なじきやあに、童達(わらんちゃあ)が分(わ)かい易(や)っさんねえしする如(ぐとぅ)、カタカナんかい纏みらんでぃそおる考(かんげ)えぬある風儀(ふうじ)やいびいん。
むとぅから、琉球語(るうちゅうぬくとぅば)ぬ表記(かちいうよう)うや、うむるすうし代(ゆう)から琉球文化(るうちゅうぶんくゎ)開(ふぃら)かちゃる組踊(くみをぅどぅい)口(ぐち)ぬ頃迄(くるまで)え、日本語(やまとぅぐち)とぅぬ関(か)かわいから、うぬ表記やいいくく纏とおたん(ちゅなあちゅいなあ受き持ち、作家(かちゃあ)ぬ毎(かあじ)ぬ違(ちげ)えみえあいびいたしが)。
後(あとぅ)になてぃ明治初期(みいじはじみ)ぬ県(きん、ちん)(みいや明治政府ぬ出先(ゆだ))や「琉球の言語を本土と同一たらしむる」事ゆモットーとぅさあに「標準語奨励」運動(うんどう)、みぐらちゃるむぬやいびいん。うぬ事故(ゆい)に、うちなあぐちが全(まっ)とうばに継(hち)ち行(い)ちゅる仕組(しくみ)ぬ壊(くう)さっさたるばすやいびいん。
カタカナ表記(発音びけんぬ考え)言(い)ちゃる人達(ちゅんちゃあ)や、まあや纏てぃ、まあが纏てえ居らが、またうえいえ何故(ぬうゆい)ややがんでぃゆる事んああち、沖縄語え独立(どぅうだち)言葉(くとぅば)どぅやみ、あらんでえただぬ「しまくとぅば」(日本語ぬ一方語)どぅやみ、また書ち言葉とぅうぬ型あ如何(ちゃあ)すがんでぃゆる事とぅぬ関いちゃあすんがんでぃぬ肝(きむ)ぬ見(み)いやびらん。むとぅあkらカタカナ表記なかいさっとおる沖縄語活動やちゃぬあたいぬ実績(しからし)ぬあいがすたらんでぃぬ事とぅかにちいぃぬ検(あらた)みぬ無(ね)えらんでえ、くぬカタカナ表記ぬ事お、どぅくだら飛(とぅ)び強(ぢゅう)さい、だてぃん、し行(い)かなんでぃぬ思励(うみはま)い、さんむぬのあいびらに。また、胴易(どぅうやし)くけえさなんでぃぬ「逃(ぬ)ぎ」がやらんわかやびらん。
沖縄語ぬ復興(またうくし)や、うむるすうし、組踊あんし琉歌(るうか)ねえぬ「古典的部分(んかいからぬむん)」とぅ一体的(てぃいちなち)、しいびちいやい、古典とぅ切(ち)り離(はな)しちえ、実(じゅん)にぬ継(ち)じ道(みち)え無えやびらん。
カタカナ表記え下(しちゃ)ねえぬ煩(わちゃ)れえ事んかいなら筈(はじ)やいびいん。
1.昔(んかし)とぅ今(なま)さっとおる沖縄語活動(うちなあぐちくゎちどう)、ちい消(ちゃ)あち(見だん振なあし)、切り離するむぬどぅやい、継じ行ちゅる活動、抑(うせえ)うyるむぬやいびいん。
2.カタカナ表記ゆ県ぬ公用語あらんでえ第二公用語とぅしち議会(じくぇえ))行政(くうじ)公文書を作(づく)いんかい使(ちか)ゆんでぃゆむぬやれえ、分かゆしが、あねえあらな、今迄、長(なげ)えさうちなあぐちぬ活動しっちゃる人ん達んかい。、くり押(う)しい付(ち)きらんでぃぬする考えぬあるむんやれえ、「表現の自由、言語の自由、感性の自由」んかい踏(くだ)み入(い)ゆるkとんかいなゆい、民主国家とししちぇ、あてえならん事やいびいん。
3.うちなあぐちぬ現(なま)死語(しにくぅば)やれえ、いふぃえ分かやびしいが、日本語は当(あ)たり前(めえ)ぬ事、まあぬ生ち言語ぬ場合(ばあ)ん言語活動(くとうばぬ)ゎちどう)・継承や息(いいち)そおる言語活動者がどぅ構(かむ)とおしがどぅ当たい前やいびいる。息そおる言語ぬ場合んでぃせえ、多(うほう)くの言語活動ぬ日々(ふぃいびい)ぬ活動ぬ中(なか)から自然(しじん)に、互(たげえ)に纏(まち)ぶたい、またたっくゎたいさがなあ、なてぃいちゅむぬどぅやい、ある団体(ぐう)とぅか行政ぬ勝手(かってぃ)さあになてぃ行ちゅるむぬおあいびらん。
筆:比嘉清
カタカナをめぐる諸問題(表記法は伝統表記を継承すべきで)
うちなぐちの表記について、その表記法が統一されてないことを理由に、子供たちが理解し易いカタカナに統一しようとする動き県行政にあります。
もともと、琉球語の表記は、おもろさうし時代から琉球文化の華を開かせた組踊脚本にかけては、日本語との関係からその表記はほぼ統一されていました(個々の担当者、作家による違いはありましたが)。
後年、明治初期の県(事実上の明治政府の出先)は「琉球の言語を本土と同一たらしむる」ことをモットーに「標準語奨励」運動を展開しました。これにより、沖縄語が正常に継承されてるシステムがを破壊されたのです。提言者たちは、どの部分が統一され、あるいはされないのか、それは何故なのか、また、沖縄語は独立語なのか一地方語なのか、書き言葉とその様式化をどうするのかについての考えが見えません。そもそもカタカナ表記(発音偏向オンリーか?)による沖縄語活動の実績がどの程度のあったのか、そうした検証がなければ、これまでどのような活動実績がカタカナ表記の提唱は飛躍であり、努力の放棄であり、安直な方向への「逃げ」なのかも知れません。
沖縄語復興は、おもろさうし、組踊そして琉歌といった「古典的部分」と一体的に行うべなのであり、古典と切り離して、継承はあり得えません。
カタカナ表記への動きは以下のような問題を生じさせていきます。
1.過去と現在行われている沖縄語活動を無視し、切り離すものであり継承を著しく制約するものです。
2.カタカナ表記を県の公用語あるいは第二公用語として議会会行政が作る公文書を作成に使うというのであれば、まだしも、そうではなく、これまで、長年の沖縄語の活動に携わってきた活動家らの継承活動にこれを押し付けようとするの意図があれば、表現の自由、言語の自由、感性の自由に踏み込みことになりかねず、民主国家としてあるまじきことです。
3.沖縄語が現時点で死語であるならともかく、日本語は勿論、どの生きた言語の場合も言語活動・継承はその言語活動者が担っているの普通です。生きている言語の場合は多くの言語活動家の日々の活動の中から自然に、相対的また総体的になっていくものであり、ある団体や行政が一方的に関与してなしていくというのではありません。
筆:比嘉清