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GHQとぅ日本語表記
戦後(いくさあとぅ)、日本(やまとぅ)ゆ掛(か)きたる米軍(びいぐん)GHQや、日本語(やまとぅぐち)ぬ表記(かちいよう)やまちぶいかあぶいしそおんでぃち漢字をはじみ仮名(かな)んちょうん、止(や)みらちローマ字んかい、けえ変(け)えらんでぃぬ考(かんげ)えんあたんでぃぬやいびいん。 当(あ)たり前(めえ)ぬ事(くとぅ)、日本(にふん)や、かわてぃ国語(くくぐ)んかい関(かが)なとおる教師(しんしい)達(ちゃあ)が固(くふぁ)撥(ば)にさあに、止(ゆ)しみらちゃんでぃぬ事やいびいん。 昔(んかし)からある日本語ぬ使(ちけ)えとぅ何(ぬう)ん関(かが)なてぃ来(ち)ぇえ居(をぅ)らんたる第三者風儀(でえさんじゃふうじい)ぬ考えやたる丸(まる)ちゃあ目論見(むくるみ)や崩(くず)りたるしいじやいびいん。ベトナムんでえや漢字止(や)みやびたしが、うぬ事ん長(なげ)えさフランスぬ囲(かげ)え内(うち)やたる事んあやあに、自(どぅう)なあたあ昔からぬ文化たやんでぃぬ考ん弱(よお)てぃが居たらあん分(わ)かやびらん。 中国(ちゅうぐく)漢字ぬ胴易(どぅうやし)く成ちゃしえ伝統(んかしからぬふうじ)ゆ、なんぞお見(ん)だん共産党一党独裁ぬ下(むとぅ)んじさったるむぬどぅやいびいる。なあ言葉(くとぅば)言葉ぬ書(か)ちい様(よう)変(け)えたんでぃぬ事お、うん如(ぐと)おる事情(じじょう)んあいびいくとぅ、能(ゆ)う考えらんでえないびらん。 沖縄語(うちなあぐち)うとおてぃんカタカナ表記法(かちいよう)ぬ「有識者」から叫(あ)びらっとおいびいしが、うぬ必要(いりゆう)やちゃぬあたいあびびいがやあ。沖縄(うちなあ)や昔物(んかいむん)ゆ可惜(あたら)ささん独裁体制ぬ下んかいあるわきんあらな、外国(ゆすぐに)なかいかきらっとおるわきんあいびらん。強(し)いてぃ言(い)いねえ、日本(やまとぅ)にかきらってぃから、なあ150年(にん)びけえ経(ふぃ)とおる事がやいびいら。 またむし、沖縄語表記(うちなあぐちかちいよう)がまちぶいうかあぶいそんでぃぬ考えぬあるむんdぉうんやれえ、今迄(なままでぃ)、沖縄語ぬ書ち言葉し来(く)らんたる立場(たちふぁ)からあ、あんやる筈(はじ)がやびいら。あんし、書ちい様、変えててぃ、ちゃんとぅなてぃ、行(い)ちゅるむぬがやいびいら。 当たい前、根(にい)、変えらんむんどぅんやれえ、「言文一致」んでえぬ必要やるいふぃぬ書ちい様ゆ胴易くする事、ゆたさんでぃ思(うむ)やびいん。まる平生(ふぃいじい)から沖縄語ぬ書ち言葉、そおる人(ちゅ)ん達(ちゃあ)やあん思(うみ)やびいしが、あねえあらん人ん達や根(にい)からけえ変(け)えらんでぃするぬむがやいびいら。 今迄、言ちゃる事、繰(く)い返(け)えさびいしが、童達(わらんちゃあ)や習(なら)あしなむんどぅやいびいる。 比嘉 清 GHQと日本語表記 戦後、日本を占領した米軍は日本語の表記を煩雑であるとして漢字をはじめ仮名さえ廃止しローマ字化さえも考えにあったとされます。 勿論、日本側はとくに国語教師などを中心に猛反発し、撤回させたとのことです。日本語の伝統と実践のついて、実践と無関係な第三者的目線による占領者の目論見は頓挫したのです。ベトナム等は漢字を廃止ましたが、長年フランスの植民地だったこともあって、伝統文化に対する抵抗力が弱まっていたことも一因でしょう。 中国の漢字の簡略化は伝統をそれほど重視しない共産党一党独裁の体制下で行われたのであり、各言語の表記法の変更はそうした歴史的背景(事情)を考慮する必要があるのです。 沖縄語でもカタカナ表記法が「有識者」から提唱されていますが、どれほどその必要性があるのでしょうか。沖縄は伝統を重視しない独裁体制下にあるわけでもなく、外国の植民地という位置にもありません。強いて言えば、日本の配下にあって150年ほど経ったことでしょうか(日本化されるのに十分な時間です)。また、もし、沖縄語表記が煩雑でとある認識されるのであれば、これまで、沖縄語で書き言葉の実践とはそれほど関わってこなかった立場からかどうかは分かりませんが、変更するする事でうまくのでしょうか。 勿論、根本を変更しなければ言文一致等の必要に応じたマイナーな表記の簡略化(様式化と進化)は当然、なされるべきです。日常的に沖縄語の書き言葉を実践している人はそう感じますが、そうでない人々は根本を変えようとするものなのでしょうか。 従来の主張をくり返しますが、子供は教育次第です。 比嘉 清 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023年09月18日 14時09分47秒
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