1343780 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

あるがままに生きる

あるがままに生きる

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

島ペン

島ペン

Freepage List

Category

Archives

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

Comments

草枕(レンマ学)@ 数の言葉ヒフミヨ(1234) ≪…阿字の子が 阿字のふるさとたちいでて…
坂田正敏@ 雨よけブルーシートに関して 島ペンさんへ ご返事有り難う御座います。…
島ペン@ Re[1]:躯体建築が終わりました(02/03) skyfishさんへ 休眠中の当方に・・・ 久し…
skyfish@ Re:躯体建築が終わりました(02/03) 初めまして、私も2x4でセルフビルドを志し…
島ペン@ すっかり 無沙汰(03/23) COCOさんへ おはようございます。久しぶり…
COCO@ Re:琵琶茶? の効能(03/23) ご無沙汰しております。 その後、いかがお…
まりりん@ Re:夏季シーズンの予約開始(04/01) 島ペンさ~ん♪ お久しぶりです たった今…
守破離@ Re:修・破・離(しゅはり)(11/21) 守破離、守破離、守破離

Calendar

2009.05.10
XML
カテゴリ:アセンション

ようこそ、来て下さってありがとうございます。

久しぶりのブログのアップです。

こんなに間隔を開けたのは、始めてかも。

連休中は何かと忙しく、

久しぶり?の経済活動に専念させていただきました。

神と共に生きる決意をすると、

全自動的に現金収入も入ってきます。

神にとって、これも我が子を守る大いなる愛の表れですね。



空いた時間には、お日様の光の中での瞑想三昧でした。

今の季節は、屋外での瞑想にはもってこいです。

五月晴れ、波の砕ける音と野鳥のさえずり、

全身が浄化されます。



そして、「本願他力」の親鸞聖人にのめり込んでいます。

親鸞聖人というお方は、

知れば知るほど奥の深い、

大海のような方ですね。


9歳で比叡山に登岳し、半年後の10歳にして

受戒入壇の式を許されました。

これを授かるという事は、大変な事のようです。

比叡山にいる数百の学僧が、数十年の修行ですら

容易に許されるものではないという。

受戒入壇の儀とは菩薩心の達成、

生きながらにして菩薩たる心に至った者のみが授かるものだそうです。


まあ、それはさておいて・・・



親鸞聖人のお言葉の中に、

“悪人正機”という言葉があります。

「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

親鸞さんの有名な言葉ですね。

「善人すら往生を遂げられるのだから、ましてや悪人なら尚更往生できる。」

という事なのです。



往生とは、往きて生きる(いきていきる)という事。

死んだ後、再び苦しみの世に生まれ変わる事の無い浄土に行けることですね。

解脱です。

普通なら、「悪人ですら往生できるんだから、善人なら尚更・・・」となる。

善人だと、心のどこかに良い事をしたという満足感がある。

善行を施したという自我意識が生まれてしまう。

これは、他力ではなく自力の働きになる。

悪人は、努力して高みに上ろうというような自力が無いから、

他力に目覚めたら往生しやすいという事なのですね。

しかし、この理念は衆生を救う一つの手立てであったと私は思います。

この事についての考察は、次回にします。

この「本願他力」については、前前回のブログに書きました。

4月14日の日記

4月18日の日記

「本願他力」については奥が深いので、

これから少しずつ私の解釈や考え方などを紹介していきたいと思います。



今回は、悪行と善行について考えてみたい。

そもそも、善と悪という相対する二元性の考え方は、

三次元の世界の底辺に流れる考え方です。

この社会で、善悪を無視した生き方は出来ないかもしれません。

法律的な善悪、倫理的な善悪、

これらは時代とか価値観によって変わる物、不変ではありません。

その人、その組織にとって損になる事(不都合)が悪で、

得になる事(好都合)が善という考え方ですね。

だから、我々の住んでいる三次元の社会では、

他の人々に迷惑やら被害やらを被らせる存在は悪で、

その逆が善という訳です。

今までも、このブログで悪に見える行いについて書き続けてきましたが、

三次元という枠を離れて、もっとグローバルな視点で見ると、又違った観方が出来ます。


過去世から綿々と引き継がれてきた、

因果応報という宇宙の摂理の中で、

悪に見える行いや善ととれる行いが展開される。

三次元社会という枠を超えると、善も悪もありません。

それは、その者にとって悪と見える行いは、

過去のその者の行いの投影だからです。

簡単に言えば、人を傷つけてしまったら

自分を傷つける存在の出現となる。

そういう不都合が現れたら、過去に(過去生も含む)

自分がやった事の現れだと思えばよい。



宇宙の真理は絶対調和ですね。

その者が不調和を起こした過去の行いを、

本来の調和に戻す神の計らいです。

だから、悪と見える行いは創造主の深い愛なのですね。

そう考えると、悪に見えるもの、

自分の不都合に見えるものは創造主からのプレゼントで、

悪役を演じてくれる人は、ありがたい存在なのです。

であるからに、悪行に見える行いは、善行であるという事なのです。

この意識を超えると、そこには善も悪も存在しない、

全てが弥栄(イヤサカ)の、大いなる存在の慈悲ですね。

善悪の意識が無くなれば、

批判も無いし文句もありません。


在るがままを受け入れ、

解脱にまっしぐらと成りましょう。


この意識を、三次元の日々の活動の中で表現して行かなくてはなりません。

もし、あなたに不都合を与える存在がいるとしたら・・・・・

嫌な上司、心の疎通が取れない亭主、不景気、・・・



親鸞聖人はこうおっしゃっています。

「御仏はその者に宿り、お試しに成られている。

その者を阿弥陀仏だと思うて仕えたがよい。」


どうです?

ここで言う阿弥陀仏とは、宇宙創造の大いなる存在です。

その存在を、どこまで信じ切れるか。

それが、地球がアセンションした後の世界に住めるかどうかの

ターニングポイントになることでしょう。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.05.10 06:21:05
コメント(2) | コメントを書く
[アセンション] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.