さらば東宝特撮大プール(2021年1月画像改訂版)
東宝スタジオの前を大河が流れるような風景だ。これが背景の方向から見た大プール(昭和50年「メカゴジラの逆襲」制作スナップ。下の画像も同じ)。いきなり異性の話になるが、これは本文に大いに関係あることだから書く。大学時代、異性に交際を申し込んでやや進展があっても、己れの趣味を明かすには、やや勇気が要った。「特撮だよ」とはすんなり言えないのだ。それで、今度は逆に言う。多くの者が興ずる趣味はスポーツが多かろう。たとえば太郎と花子が会話したとする。太郎「スポーツはやる ? 」花子「うーん・・私は自分ではやらないけどサッカーの試合を見るのが好き」太郎「ホント。俺、実は高校時代サッカー部だったんだ」花子「ええー ! ホントに ! ? うわー、カッコいいッ ! 」何もまたサッカーを槍玉にあげたつもりはない。野球でもテニスでも何でもいい。女の多くはスポーツに多分性的な興奮を感ずるから、これで二人の会話は弾む見込みが出る。だが待てと言っておく。スポーツをかえよう。硬式テニスに興ずる者共よ、その目を転じて、模型の艦船を浮かべたミニチュア・プールの映像画面にも、同じ興味を示せるか ! ? 花子「やだあ、そんなガキっぽいのなんてぇ・・あたし、興味ないわ ! 」この根バカ女め ! ! お前がテニスに興じて特撮をバカにするのと同じくらい、特撮趣味の者は、特撮に興じてテニスになぞカケラも興味がないんだよ ! !学生時代、実際に見学に行って撮った大プールの写真。自然の風だけで大海の雰囲気が出ていて圧倒され、いくらも撮影出来なかった。これは奥行きわずか2mの自製プールで作ったジオラマ。大プールとは空間量に激差がある。高校時代、特に高三になると、愛犬の散歩に出かけて彼を満足させてやれるのは日曜くらいになった。その日曜日、明るいうちから早速愛犬を伴って、いつもの散歩コースを歩く。ところが田植え前の水田のところにさしかかると、私は愛犬の綱を解いた。愛犬は解放されたうれしさからか、あたりを歩き回り、何がにおうのか、あちこち嗅ぎまわって、しばしこちらに余裕が出る。私はしゃがみこんで、水を張っただけの水田をながめる。既に水田は大海原に変じている。時折風が吹くと水のおもてにさざ波が起こり、我が想像力に、水田の作る波が加わって、水田は全き海面と化している。これを飽かずながめた。そのうち愛犬が飽いて、私のもとにすり寄って来る。私「おお、気が済んだか、ジョイ。よーしよし、よしよし」と、彼をなでてやる。うっとりしてなでられている愛犬に更に話しかける。私「なあ、ジョイ。あの田んぼの水面な、こうしてお前と同じ視線で見ていると、大洋の海面に見えて来るんだ。どうだ、お前にもそう見えないか ? 」見えるわけもなく、私が指差した水田を見ずに、私に更にすり寄って、甘えるから可愛い。そこでほめる。私「よしよし、ジョイ、偉いぞこのバカめ。よしよし。お前は俺の言うことがまるっきりわからないんだよな、いい子だ、このバカめ」と、笑顔でケナすから、彼はますます喜ぶ。本当に可愛いヤツだった。戦艦三笠が主役と言っても良い昭和44年「日本海大海戦」のオープン大セット。受かる見込みのない大学を目指していながらも、私の心は既に合格後の計画へと傾いていた。「特撮プールに連合艦隊を浮かべて一大戦争特撮映画を作るぞ ! 」これは、とうとう実現しなかったが、その代わり体長50mの海の怪獣を主役にした8ミリ特撮映画を完成させて、文京区の区民センターといったか、そこの一室を借りて公開上映会を行なった。拙劣極まる私の自主映画が目玉だったから、上映会は関東を中心としたマニアが集まった親睦会の如き程度に終わったが、あの頃確かに旗揚げは私がやった。8ミリ映画専門誌と言って良いマニアの雑誌「小型映画」は、それまで年配の人たちが、旅行の風景などを収めて上映する記録映画を主として扱う色彩の濃いものだったので、私が「同好の士求む」との呼びかけを投稿し掲載されたら、たちまち全国のマニアから手紙が集まって、私はその反響報告を投稿して再び掲載された。その反応の意外さに注目したのか、一時期同雑誌は、8ミリ特撮にスポットを当てて、遂には「特撮映画特集」まで企画するほどになった。私はこの版元の会社「玄光社」に出入り自由となり、担当の日比野さん(実名)という女性編集者に電話をかけて、ちょくちょくお邪魔した。しまいには掲載記事のことで希望した内容ではないなどと文句をつけるまでになって、さすがに困惑されたが、全体に理解ある会社だった。最初で最後の拙作、「海底大怪獣メガロドン」の記事が掲載されることになり、日比野さんがプロの映画評論家の一人を伴って下宿に現われた時の感激と、のちにうますぎるお世辞としか思えぬ評論家氏の紹介文記事が見開き、写真入りで載った時の再度の感激は、心地よい思い出として脳裏に残っている。ここには私の不細工な顔も載っている。 東宝昭和35年「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」より、真珠湾攻撃シーン。攻撃機の主観カット。同じく「太平洋の嵐」より、燃え上がる米停泊艦船。我が最大の趣味は「特撮」である。更に言えば、今回のタイトルにある通り、プールを海面に変身させる「海上シーン」の特撮に魅了された。東宝は、昭和35年作品「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」製作の時、途方もない巨大特撮プールを建造した。昭和29年「ゴジラ」の時はまだこのプールはなく、多分仮設の小プールで海上シーンの特撮を行なった。ところがこの「太平洋の嵐」で、最大幅88m、長さ(奥行き)72m、水深1m~1.2mの大プールいっぱいに、ハワイ、オアフ島の真珠湾を作り上げた。この時はまだ仮設プールだったが、その後修理が重ねられ、遂にコンクリートで固められた常設プールとなり、世界最大の特撮プールとして、その威容を誇ったものだ。俗に東宝大プールと称する巨大特撮プールは、作られる映画によって、様々に変化して見せた。ある時は「サンダ対ガイラ」の、人食い怪獣ガイラが沖に出現する漁村の内海(うちうみ)となり、ある時は南方の孤島、インファント島から幼虫モスラが大波けたてて泳ぐ太平洋の海原となった。興味のない者は一瞥(いちべつ)、「大洋に特有のうねりがない」と知ったかぶったが、バカめ ! よおくめん玉ひんむいて見よ ! 東宝大プールは、七色仮面ではないが、変化(へんげ)自在の波を作って見せた。波濤(はとう)の効果の見事さは比類ないと、あの有名な淀川長治氏が礼賛した、特技監督・円谷英二氏の神技(かみわざ)の所産であった。同じく「太平洋の嵐」より、ミッドウェイ海戦シーン。 ありきたりの趣味を持たずに育ったことを喜び、年来の孤独をこの趣味にかろうじて救われたことを不幸中の幸いと思っている。そして、今に至るも海上シーンの特撮への興味が続いているのは、東宝が総工費1500万円を投じて建造した大プールの恩恵に浴するところ大である。その東宝の象徴というべき大プールも、最後のゴジラ映画製作を以て姿を消した。いや、既に取り壊されたかどうかは知らない。だがここはさら地になるはずだ。一つの時代が終わった。 これも自作プールによる拙い一枚。