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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

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2024年01月28日
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カテゴリ:オペラ
東京文化会館 14:00〜
 4階右側

 グノー:ファウスト

 ファウスト:澤崎一了
 メフィストフェレス:伊藤貴之
 マルグリート:迫田美帆
 ヴァランタン:井出壮志朗
 シーベル:但馬由香
 ワグネル:高橋宏典
 マルト:北園彩佳
 藤原歌劇団合唱部
 NNIバレエアンサンブル
 東京フィルハーモニー交響楽団(オルガン:浅野菜生子)
 指揮:阿部加奈子
 演出:ダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディ

 まだ12月の公演で書いてないのもあるんですけれどもね。ちょっと気になったので早目に書いておこうかと。

 藤原歌劇団の都民芸術フェスティヴァル参加公演、土日で2公演あるうちの2日目です。ダブルキャストのいわばBキャスト相当というところでしょうか。土曜日は村上敏明と砂川涼子、メフィストフェレスが来日組なのに対して、若手といった面々ですから。

 で、先に終演後から書くのですが、終演後ぶらぼおおおに混じってブーイングのような声が。いや、正直、発声が酷いので、どっちか定かではなかったんですけれどもね。ただ、o音で終わってるようには聞こえなかったので、あれはブーイングだったんじゃないかと思うのでね。明らかにメインの歌手陣に対してだったので。指揮者出て来たら出なかったし。

 4階の脇なんぞで聞いてましたので、まぁ、実のところよく分からないといえば分からない、ですけどね。ただ、こっちはこっちでもう30年以上東京文化会館では見聞きし続けているので、大体どんな塩梅か分かるっていやぁ分かるかな、とも思ってます。
 率直に言って、今日はほぼ期待してませんでした。出演はA代表じゃないし、前回の藤原、去年9月の二人のフォスカリは、全体として悪くないとはいえ力不足は否めなかったし。そういうつもりで聞いていたのですが、実際には、かなりまともな出来でした。
 圧倒的な出来とは言いません。声量も場内を圧するような人はいなかったし。でも、その分、どのキャストもきちんと丁寧に歌っていたと思います。なにより力任せに押し切る、無理やり声を絞り出すような歌い方ではなかった。唯一それはどうかな、と思ったのは、最後の第5幕、マルグリートが恐れ慄き神の救いを求める重唱のところで、ちょっと金切り声になってたかな、というくらい。この場面は、まぁ、そうなるとすればここだよね、という場面。むしろそれ以外では丁寧に歌っていたと思います。気になる場面はなかった。つまり、少なくともメインキャストに関する限り、東京文化会館の4階までちゃんと聞こえる程度には歌えていたのですよ。ということは、新国なら楽勝だと思います。
 もしもこの歌唱陣にブーイングするならば、今の新国の公演殆ど全てでブーイングするのが筋というものです。私は行かないけど二期会だったら座布団やペットボトルが投げつけられるレベルなんじゃないかしら。もしあれがブーイングなのだとするならば、一体何故それがブーイングに値するのか、基準というのか、まぁ、論拠を明確にすべきです。気分でするものじゃないですよ、ブーイングなんて。ちょっと出来が悪いくらいでするものではない。言葉を伴わない以上、単に出来が悪い程度でやるもんじゃないですよ、少なくとも今時の日本では。何某かそれ以上に批判されるべきものがあって初めてするようなものです。気分でやったのなら不見識も甚だしい。こういう場に来るべきではないです。
 勿論、こちらはブラヴォーもしなかったですけどね。そこまで素晴らしい出来と思ったわけではない。でも、ちゃんとしてましたよ。今時の、藤原を初めとする日本の団体が上演する公演としては、こんなものじゃないかしらん。少なくとも「こんなもの」の中ではかなりちゃんとした出来だったと思います。敢えて言えば、残念ながら、と言ってもいいかも知れないけれど。良くも悪くもこれくらい出来れば今は上出来なんだと思います。
 合唱は、今回は藤原歌劇団合唱部単体。まぁ、やっぱり、そのくらいはやってもらわないとね。

 発音は、フランス語はよく分からないですが、石投げられるほどじゃなかったとは思うんですけどね。どうなんでしょうね。

 オケは東フィル。今日は裏で定期演奏会をやっていた筈なのですが、かなりいい演奏でした。本来だと裏はオーチャードホールなんで言ってる筈なのですが、期せずして被ってた上に1月はプレトニョフなので......お察し下さい。こちらは、だから、やっぱりBキャストなんじゃないかと思うのですが、ちゃんとしてましたですね。指揮は藤原初、と言いますが、そもそも私は聞いたことない人だと思います。あちこちでやってる人みたいですが、何処かのそれなりのオケの常任とかやってるというわけではなく、売り出し中ってところですね。指揮もやはり丁寧。少なくともこの日の演奏はまずまず良かったと思います。敢えて言えば、思い返すに、はて、このオペラをどういう音楽として構築しようと思ったのか、というのはちょっと見えなかったかも知れません。まぁ、このオペラにそういうのどこまで求めるのか、という話ではあるんですけれどね。

 演出。これは、どうだろう.........
 舞台装置らしい装置は無いといえば無くて、3つの縦長の投影装置が色々に動いて舞台を構成する。まぁ、それは、お金ないんだな、というところなんでしょう。それはいいんだけど、問題は、投影される映像。これがちょっと残念な感じで、何がダメかというと、映像が全然舞台に合ってないんですね。
 最近は舞台で映像を使うのはかなり一般的になって来ましたが、しかし、適切に使えているかというと、これがかなり怪しい。よくあるのは、今回もそうなんですが、映像に情報を詰め込み過ぎるんですね。
 映像というのはそれ自体がかなり情報を盛り込むことが出来るので、舞台で使う映像でも往々にして同様に情報を詰め込んでしまうんですね。加えて、観る側も、映像に関しては、TV映像なんかであるように、画面それ自体を視野に収めながらある程度隅々まで見えてしまう。慣れてるんですね、そういうのに。
 ところが、オペラや演劇のような舞台の場合、そこまで舞台の隅々までは見ていないし、見えない。舞台というのは映像を画面で見るのと違って、リアルにそこにある「もの」として、縦、横、奥行きまである範囲を見ているものなので、隅々まで見ないし、情報量は多くない。いや、情報量が少ない、というよりは、そこにある「もの」という時点で、映像ではあまり重視されない質感のような、質的に違う情報が入ってるというところでしょうか。
 たとえば、オーソドックスな舞台装置の場合、教会なら教会でそういう書割があったとして、その書割はその場ではほぼ変わらないんですね。変えるとすれば装置そのものを動かすとかしなければいけないので、限度がある。ところが、映像でなら、これは変化させるのは簡単なので、どんどん変えられてしまう。でも、そうすると、見る方としては、舞台上の実際の人やものと無関係に映像が勝手に動いているように見えてしまう。それと、今回は、所々で絵画の映像と思しき、花の絵を出したりするのですが、これが色々に変わり過ぎる。映像が舞台に関係なく喋り過ぎるんですね。無論、映像を作っている方としては、この場面ではこういう意味の絵を出そう、それをこう変えよう、という考え方で、照明のように変えているのだと思いますが、それは映像に語らせ過ぎだと思います。少なくとも今回は。
 じゃぁどうすればいいのか、というと、取り敢えず私の見解は、舞台と映像のシームレスな融合は無理で、かつ、やはり現実の舞台の実際の姿の方が勝つので、それを邪魔しないような映像の出し方にするしかないのだと思います。情報量の多い、意味を持ち過ぎた映像は、やはり舞台とは親和性が低くなってしまうと思います。
 もう一つの問題は、映像の質。そんなに質の悪い映像というわけではないんですよ。ただ、映像の質感と、舞台で見えているものの質感とが合わないんですね。演出ノートを読むに、演出家としては闇と光、特に闇に対するこだわりが強いようなのだけれど、そもそも映像って闇と相容れないですからね。それもあって、舞台上の実際の質感は映像に相性が悪いのだけれど、それ以上にそもそも映像自体の質感が合ってない。だから、全然違うものが同じところにあるような見え方でして。
 演出解釈的には、特に読み替えてるわけでもなく、まぁ、オーソドックスに近いと思います。そういう面ではあまり気にはしなかったのだけれど、そういうわけで、あまり感心できない感じでした。





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最終更新日  2024年01月29日 02時48分52秒
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