僕らのそこらじゅう周りには、ゴーストがいる。ゴーストとは何かということをすっ飛ばして、アルバート・アイラーのように、即興で、かなり怪しく話を進めていく。
すごく怒ってるいる人の側にいたら、その人の体の回りはなんか暑っ苦しい雰囲気がある。体温も熱くなっているから、体の回りの空気に熱を放射しているということだろうけど、悲しみにどっぷりひたりこんでいる人の周りには、冷え~とした雰囲気がある。ヒュ~と精気を吸い取られていくような冷え冷えとした雰囲気。こういうのが電信柱の影なんかに残っているのも、ゴーストの一種じゃないか。電信柱の影の空気が冷えている、ということだろうけど。
以下、科学的に説明できそうだけど、それは無視してかなりいい加減で矛盾したことを書くと、そういうからだの周り7.8センチくらいの、オーラソーマのポマンダーが効き目を持ちそうなあたりのエネルギーは、たぶん肉体が焼かれたりしたあとも、四十九日間くらいは、この世に残るのではないかと思う。
じゃあ、焼き場に残るのか、と思うけど、たぶんその人の持ち物のとか、家とか場所にも残るのではないかと思う。まあ、フィーリングの残滓という感じ。誰かと会うとその人といたときの感じが、しばらく残る。その人といることによって触発されて生まれた自分のエネルギーとは、よく観察すれば、その人が残していったエネルギーと、選り分けれることができる。
僕は昔、スリー・イン・ワン・キネシオロジーのファシリテーターとして、セッションもたくさんしていたけど、今はよっぽどのことがない限りそのセッションはしないし、ファシリテーターの更新もしていないのは、クライアントのエネルギーが、僕と混ざってしまう、残ってしまう、つまり「かぶって」しまう、のに、ほとほと困ったからだ。僕の腕は天才的に良いという評判があったんだけど、筋肉反射テストで、幼児期とか子宮内のトラウマまで遡るというこの「やり方」は、なんだかズブズブと相手のサトル(微細)な領域に素手で入っていくようで、この「かぶる」という問題が、僕にとっては激しいので、今はクライアントにとってよほどの必要性を感じない限り、これはしない。とわいえ、時計の修理をするようにボディマインドを修繕するには、このセラピーは、細かいところを直すのに効き目があると、僕は考えている。
その頃、スリー・イン・ワン・キネシオロジーのセッションを万能だと信じて、猛烈にたくさん仕事をして、それで稼いだお金でインドのプーナに、へとへとになってたどり着いたことがある。それで、高名なサイキックマッサージの人のセッションを受けたら、その人は僕のエネルギーをチェックして、「悪いけど、あなたの周りにあなたでないエネルギーが取り巻いていて、あなたのエネルギーをリーディングできないから、お金を返すから、セッションはできません。しばらくプールで泳いだり、静かに座ったりして、二週間位したらまたやってきてちょうだい。」と言われたことがある。
「かぶる」というと、そんなこと私には関係がないと、多くの人が思うかもしれないけど、僕から見ると、みんな運動会のダルマ人形みたいなものを「かぶってる」人みたいに何十にもエネルギーをかぶっている。十二単(じゅうにひとえ)を着ているようだと言ってもいいか。さらにそれぞれが「キャラ」をかぶっているから、ややこしい。
さて、フィーリングのエネルギーを「かぶる」くらいは、シャワーを浴びたりしたら、流れて行ったりもするし、死んだ人の雰囲気がしばらく家にあるのも悪くない。日がたつと、たいがいのものは流れ去る。
でも潔く「水に流す」ことができない「こだわり」があると、それが固まってきて、独立したエネルギーになって、そこらを徘徊しだしたり、来世とかにも就いていたったりして、それが前世リーデイングセッションなんかで読まれたりすることになるエネルギーかもしれないと思う。前世で何にこだわって、それが今生にもへばりついて、影響してますよ、ということだろう。
話がオカルト的になってきた。なってきたついでに書くと、フィーリングが流れずに内向して、淀んできて、ネタネタドロドロしてくると、粘土みたいになってきて、それ自体のチカラが出てきたりして、エネルギーを持っていて、簡単に「水に流す」ことができないくらいだから、電気的にバチバチしていて、プラスとマイナスの間で、運動していているんだけど、執着とか、こだわりとかが、基になって、そういう電気が発生して、放電するので、徘徊現象も起こる、のではないかと思う。
神智学でいうところの「アストラル」ワールドとは、こういうエネルギーの世界のことかもしれない。この世界の住人である僕たちの「アストラル体」(第三身体)は、前世から就いてきたり、現在の時点で寄ってこられたり、あっちに来たり、こっちに来たりしているエネルギーの百貨店みたな喧騒にあふれている。何十にも自分と自分でないもののフィーリングの被り物をかぶって、その上にキャラクターとか、パーソナリティーとか、ペルソナ(仮面)とかもかぶって、さらには、ドッジボールのように、電気的エネルギーをやりとりして、チカラを持った気になったり、無力になった気がしたりして、暴君と犠牲者のゲームが攻撃的に続く。
母親から離されたアカゲザルの実験のように、世界は自分に敵対していて、飲み込み、見捨てるものだという世界観を持って、人が生き残りのための恐怖からパワーを持とうとして振舞うとき、その心の隙間は、ボールを受け取ってしまう、のではないか、と思う。
世界には、こういった理由からか、(本当は何の理由かはわからないが)影になっているエネルギーが蔓延していて、それぞれの条件付けの事情によって、その時々に、その影のエネルギーを引き受け、知らずにそれに使われ、乗っ取られ、憑依される。コリン・ウィルソンの「精神寄生体」とか「宇宙ヴァンパイアー」とか、ハインラインの「人形使い」とか、この分野のSFがあるけど、小説だけの話ではないと思う。ブッシュの病理的なマインドは、暴力的なエネルギーを引き寄せ、何かに憑依されてるから、あんなにもトンチンカンなのだと言えるし、そういえば、昔のイッピーたちが、悪霊払いイベントをホワイトハウス前でしたことがあった。
たぶん集団にもその集団の追及する光のイメージがあって、すると必然的にそれに合わないものは影として抑圧され、その集団の中を目には見えないんだけど、妖怪のように徘徊して、ある時、ある人に、取り付く。しかし、取り付かれる条件があるとしたら、その人がパワーを欲望する、その瞬間ではないか。アダルトチルドレン的な認知の歪みで世界を眺めている時に、影のエネルギーを味方にして、パワー支配を目論むのではないか、といったことを、この土日のグループで扱ってみた。
例えば、相手の緊張を取ってあげようとする善意や、相手とつながろうとする好意も、関係を仕切ろうとする(仲良くなろうとするものであれ)意図があるとしたら、その意図の動機は、アダルトチルドレン的な恐怖から生まれていないだろうか、その恐れをそのままにして感じて気づいているのでなく、それを変えようとすること、ないものにしようとする時に、「お手伝いしますよ」というエネルギーが、無意識からか、自分の過去生からか、部屋のどこかからか、隣の人からか、やって来て、気づかなかったら、勝手に乗り移られて、なんだか知らないけど、エネルギッシュになって、相手がオープンになるように操作してしまう、とかいうこと。
「自分を脇に置く」ということは、自分のエゴを脇に置くということだが、それには条件付けられた自分のマインドと,憑依してくるエネルギーとに同時に気づいているということが大事。つまり、コンビニで買い物をしている時に、ふとさみしくなって、♪愛されないと生きていけない♪とかいう歌が耳に入って、そんな気分になってしまうと、「われわれは既に神に愛されている」という真理から外れて、愛を得るための行動と名を借りた動物的な生き残り戦略に身をやつして、世界に対して働きかける(攻撃する)ことによって、緊張し、世界と分離する、といったこと。
もう一度書くと、「集団には集団の光のイメージがあって、それで影のエネルギーを生み出す。例えば、公でする話とゴシップの様に。そしてゴシップが現実にチカラを振るう時があるように、影がいつしか実体化して、その実体化した影が集団内を徘徊して、誰かに憑依する。憑依されるのは、その人がアダルトチルドレン的な認知の歪みで世界を認識して、パワーへの願望を持った時。その時、ゴーストとチェーンがあってしまう。」といったややこしいことについてが、今回のグループのテーマとなったので、さらにゴーストを祓うとかいうことになると、もうセラピーの領域を超えているので、いったん憑いたゴーストを認識して、それを飼いならして、逆に自分が意識的に使う、という方向に進めた。
例えば、「何でも仕事にしてしまってつまらくしてしまう」ゴーストに憑かれている人は、それに気づいて、それを使う。でも、見ていると同じようなゴーストを持っている人同士が仲良くなるのか、相手のゴーストによって自分のゴーストが目覚めるのか、ゴーストがあっちに行ったりこっちに行ったりしてるのか、わからないけど、「何でも仕事にしてしまってつまらくしてしまう」ゴーストに憑依されやすい人同士が、友達だったりする。二人とも第五チャクラが詰まっていて、創造性がなさそうだから、当然、この話はサトルボディと関係していて、さらにややこしい話となっていく。
さらに、僕たちは、思考があっちからも、こっちからも飛んでくるような世界に住んでいる。ゴーストを引き寄せる条件付けに応じて、特有の思考のウェイブという電波の流れている帯域に合わせやすいダイヤルを持ったラジオみたいなもんで、その電波にまた踊らされてしまう。さらに思考同士が集まって固まりになって、集合的な思考の怪物みたいになって、それが僕たちのメンタル(精神)世界をノシノシと闊歩していて、強制的に自分にダイヤルを合わさせようとしたりする。それも、デカイゴーストだし、それがゴーストを生み出すこともして、さらに知らないうちにその一部となってしまったり、結局、ゴーストという言葉の定義をあいまいにしたまま書き出したので、なにがなんだかわからい文章になってしまった。ごめんなさい。キアズマをバックグラウンドにしたもんで、乗ってはいたんだけど。(未完的完了)