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カテゴリ:チャクラとサトルボディ
ひきこもりがちのF君が、アドラー心理学のカウンセリングを受けて、「子供の頃に楽しかったことをしなさい」と言われて、何が楽しかったかと言うと格闘技が楽しかったということで、空手か少林寺拳法に通うというので、それはすばらしいことだと応援した。 汗にまみれながら、勝ったり負けたり、命令したり、されたり、達成したり、諦めたり、彼が実社会でやってみたくても怖くてしなかったいろいろを、道場と言う小社会のなかで、体ごと体験していくことは、不健康なバワーチャクラの浄化になると思う。 現実でそんなことをして、いつしか磨かれていって、いつしか人生の達人になるのが普通だろうけど、それもまた今生でそこまでいけるとは限らないし、余計なカルマも増やすわけで、スポーツと言う形で、攻撃心や競争心や征服欲を満たしたり、満たされなかったりすることから、それらを超えていくのはF君には、お勧めだ。実社会に急に出て行く前の練習と言うよりは、浄化瞑想になるだろう。 片桐ユズルさん訳したオルダス・ハクスレーの名作「島」というユートピア小説でも、権力や独裁の問題も、主義主張の争いのように見えながら、実はエネルギーの向け方の癖が違ったりすることが多いという野口整体の「体癖」的な考え方から、ひとをいじめたり暴力を振るってしまったりにいってしまう余剰エネルギーの向け方を変えて、踊りや穴掘りや肉体労働や山登りに燃焼させる。 ユズルさんが後書きで、「天下国家のイデオロギー上の大問題に見えることでさえ、あんがい個人の気まぐれで左右されていることが多いとすれば、個人の工夫と努力で解決の糸口がつかめそうなことも多いはずである。」と書いている。 小説のなかでは、スターリンのような筋肉人間は、権力愛や支配欲の流通路を変え、人間に向かうことを避けて、物に向かうようにして、いろいろと難しい仕事のなかから、筋肉を酷使することで支配欲を満たし、誰もが被害を受けず、無害で有益な形で、満足できる仕事として、木を切り倒したりの仕事をする。 シェルドンの三類型によれば、中胚葉型(身体緊張型)のF君は、実社会で支配欲や攻撃心を満たすのが怖くてひきこもったのだが、そのエネルギーを自分自身へのコントロールに向けてくたくたに疲れている。いばりちらしたい誘惑を読書に向けているけれど、岩登りや格闘技に向けることもできるだろう。 小説の中ではこう語られている。「すべての<道>への道は、エネルギーの向けなおしを経ることになります。原理は簡単です。恐怖とか妬みとかノンアドレナリンの出すぎによって、あるいはたまたま、そのときの生じたなにか内的なアンバランスによってエネルギーが生じたとします。あなたはそれを使って、だれかに不愉快なことをしたり、それを抑圧してあなた自身不愉快になったりせず、そのかわりに意識的にそのエネルギーを使って、なにか役に立つことをするとか、役に立たないまでも無害なことをするようにするのです。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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