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カテゴリ:チャクラとサトルボディ
夜になって、凍結した道を「気づき」ながら歩く。
本日は転ばないように、意識的に歩いている人を何人も見た。 昼間、光の当たらなかった処は、まだ雪がたくさん残っている。 そんなふうに、エネルギーの源のハラのまわりに、感情の流れが固まって、 凍ってしまっていることに意識の光が当たっていないと、 自分の価値を感じることが、難しくなる。 観念や理想が大切になってしまって、その通りでない自分を嫌いになる。 しかし、もう一度、暖かい光で溶けて、流れて、水蒸気として上っていけば、ハートのスペースを押し広げるエネルギーが、おなかの中に冷凍保存されているということだ。 雪を見て、僕たちは、犬のように喜んで、庭を駆け回れば、駆け回るほど、意識拡大の燃料を焚くことになる。 猫のように炬燵で丸くなっていては、瞑想に使えるエネルギーが解凍しないということだ。 しかし、凍った道を駆け回るには、かなりの「気づき」が必要だ。 集中した注意深さでは、動きがぎこちなくなってしまう。 この雪で、お年寄りの転倒事故が大量に発生しているようだ。 のっぴきならない事情で外出したケースも多いだろうが、転ぶのを恐れて家の中でお餅ちを詰まらせるよりも、なかには冒険的な生を選択した結果のお年寄りもいるかもしれない。 転ぶことによって転ばないコツを学び、アクシデントやハプニングを恐れない。 両端の燃えたろうそくのように、神に向かって踊りながら行く。 両端を燃やしたら、短命になるじゃないかと昔は思っていたけれど、ひとつは「気づき」の炎を燃やすという意味じゃないかと最近は思う。 スノーマンは十分冒険的だったから、蒸発して、形あるものから形なきものへと移行した。リジョイス! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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