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テーマ:今日の出来事(291768)
カテゴリ:時事・世界情勢・News
名古屋の事件で赤ちゃんが頭に包丁を刺されて亡くなった。
どうしてなんの罪もない子供が死ななければならなくて、 ヘンな人間ばかりが生き延びるのか。悲し過ぎる。 あまりの忙しさに 体を壊してしまう。 完全なる精神的ストレス。仕事をしていく中で 狂った上司との関わりで重い圧迫感を受け、心臓が曇る。 その人の持つ「恨み」を一緒に仕事をしたり、めがあうことで 私に入ってきてしまうようで腎臓が痛む。 どうしていつまでも こんなことが許されるのか。 神がいるなら答えを出せといいたい。挑戦状を叩きつけたいくらいだ。 人は不幸になるために生まれてきたのか。 犠牲が生まれるのか。なぜ赤ちゃんを犠牲にするのか。 悲しい思いをさせて、不幸に陥る。 本当に理不尽でなくとも、甘えて ヘドロの沼にいつまでもへばっあがってくることを怠ける人達。 一体、世の中どうなっているわけ???????????????? 私は、電車に乗っている図々しい、おじさんもおばさんも大嫌いだ。 汚らしくだらしなく、生きている人達が。 でも品よく礼節をわきまえるオジサマ、オバサマは大好きだ。 そして。 どんなにやっても どんなに仕事が出来ても、 足を引っ張る職場の人達。 これだけは言える。運のいいひとといると運が良くなる。 けれども運の悪い人達といると引き摺られるように悪くなる。 私は元々運がいい。 しかし。職場の「不幸」パワーにはなかなか勝てない。 不幸が好きな人達とはもうつきあいたくない。 実は会社の人に相談をした。『いつも昇りきったところで、突き落とされる感覚がする』と。 すると彼女も同感していた。この悪循環で、会社の人材が育っていかないのだ。 超超超エンビ―型(羨望型)嫉妬で、人の能力・資質を生かせない。 とってももったいないのだ。そして何より悲しいのは、上司も誰もかれもが 次の世代のこと、子供達の未来のための社会づくりを全く考えていないことに在る。 これは本当に悲しい。 また、この1年、「責める」ことを身をもって経験している。 責めると言うよりも責められることが多い。 さして悪いこともしていないのに、私が悪かったという昔からの癖で 本当に悪者になってしまい、いまもまだ責められつづけている。 いつまでも人を責めたてる幼いものの見方しかできない人達。 こんな状態で笑えるかというのだ。怒り狂いそうだ。 もしかして暴動が起こっても良い日本の中で、一部の人々がこういったアノミー状態になることで 暴走化しているのだろうか。 以前、番組を創りたいと書いた、確かに創りたい。けれども、正直あまりに中央集権的・官僚的でしがらみの多い 今の会社で創ると言うことはこのままの状態では時を待つか まわり道をしないとはっきりいって出来ない。 今は海外にいって国のシステムや文化を学び、吸収し、新しいものを創る糧としたい。 するととても元気になってくる。 ふぅ ちょっとはおちつかせてほしい・・・ だって10月のにいがたの震災からおちついてないんだから・・・ なーんて考えるよりいも、豊かに生きることが大切なのだけど、ね。 ということで 共に生きる「同志」よ 先を創りつづけましょう!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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