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カテゴリ:歴史・神話・古代史・文明
1ヶ月、梅原猛著の「聖徳太子」が読めなくて困った。
理由は知識が見に入っていかない、単語が分からない。歴史教科書を読んでも全く 意味不明という状態。 で。先日ある本との出会いがあった。 会社の社長秘書の方と食事をしていて去年イランに訪れた話からペルシャと飛鳥時代について話をしていたら『あなたにとってこれからの道につながるかも知れないから』と 「日出処の天子」という漫画本を紹介された。土日で読みきった。 有名なのでご存知の方も多いと思うが聖徳太子の少年期から摂政になるまでが描かれている。 (ストーリー) 飛鳥時代を背景に、政治的策謀をめぐらす厩戸皇子に毛人をはじめとする蘇我家の人々や、崇峻天皇・推古天皇らが翻弄される形で話が進んでいく。毛人は皇子を信頼するが、皇子は毛人を信頼しきることができない。皇子は毛人に同性愛的な感情をも抱くが、毛人はこれに気づかず、石上神社の巫女であった布都姫に惹かれていく。皇子はこれを好まず策謀をめぐらして布都姫を退けようとするが、毛人に気づかれ、いままでの諸事に皇子の策略があったことを知った毛人の心は皇子から離れる。作品は毛人に退けられた厩戸皇子が孤独のなかに残されるところで終わる。また様々な不幸の形も記されており、近親相姦、親子関係にもせまった作品。 何より分かりやすかったのは聖徳太子という人物が超能力者・呪術師として描かれていたこと。まるで陰陽師の安倍晴明のように。「和」を重んじる温厚な性格と思いきや、とても激しい性格で、いらぬものは切り捨ててしまう、まるで織田信長を彷彿させるような キャラクターで描かれており、なぜかとても納得できた。類稀なる能力を操るミステリスな部分と、孤独や嫉妬の感情をコントロールできないという人間的な部分もあり、この聖徳太子にとてもひきつけられてしまった。 そして。最も象徴的なものとして、そして自分が探したかったものが表現されている部分を見つけた。それは朝廷、豪族内での権力闘争を諸共せず、当時の朝鮮(新羅、百済、高句麗、隋)それらの動きを見て、東アジアをひとつとして統一の動きをつくっていこうとしたことである。朝廷内の権力闘争などは目向きもせず、邪魔するものには容赦ない。 どういう理念を元に、政治を展開させて国づくりをしていこうとしていたのか。 しかし。見えづらかったこと。 当時は神道派と崇仏派の宗教対立も背景のひとつだが、憲法17条にもあるように「仏を重んじよ」としたのはどうしてか。この漫画の中では聖徳太子が『神は祟るもの 神に祟られぬよう 仏をまつる』と説いている。何のために「仏」を日本に入れようとしたのだろうか。仏とは何だろうという疑問。 「寺」は日本社会でもっとも信仰者が多く、無宗教と言ってもなんとなしに葬式は仏教式であるはずだ。坊主によってはお経に力が感じられないものも多く、棒読みにしているため、成仏していない場合も多く商業主義の寺の姿勢にとても疑問を覚える。 それこそ霊感商法だ。 恐らく、現代と当時の「仏教観」は全く違うものであったと思われる。 一説によると聖徳太子は553年にインドネシアが2つに分かれたときに日本にたどり着いたとか、実はペルシャの人だったという説もあり、真相は謎に包まれている。 神道派と崇仏派の対立。 そして。梅原猛や松本清張、そして井沢元彦らの言う「暗殺説」・・・。 不思議に思うのは、なぜこれほどまでに聖徳太子は話題にのぼるのか。素人ながらもこの事件によって大切な何かを喪失してしまったような気がしてならない。それらは今を生きる日本人にとって何か必要なものであるとも思える。 ここ数ヶ月、身体の具合が悪い状態が続いたのだが、聖徳太子と弥勒菩薩をめぐる関連について調べを進展させていくと不思議なことに身体の状態が回復してくる。 一番引っかかっているのが、この神道と仏教の元で分断されたものの存在。 それがこの聖徳太子暗殺説に重大な欠陥というか、隠された真実のようなものがあるのか。 事実、昨年イランの世界遺産ペルセポリス宮殿に行った後、あることがあって、身体から 「歪められた仏教観」が体から外れていったのをはっきりと感じ取ったからだ。 一部ではイランのミトラ教が弥勒と一致し、丑寅の坤人と国常立尊、これらが一致すると言われる説もあるらしい。飛鳥時代のこと。とするとイランと日本の関係は実に密接といえる。シルクロードと言われる道にはその朝鮮半島も関連している。 そこに何かが入り込み、歪められた状態になったのではないだろうかと。 そういうことで最近、これらの書物を読んで調べていくと、仏教、神道など宗派や党派がわかれていたものがどこかで一致し点と点がつながってきて実はその源はひとつではないかと思うことが感じられるような感覚が時々するのだ。 そして。後の歴史上の勝利者である権力者達が事実を改ざんし、言葉で分けて、宗派で分けてきたのだとつくづく実感する。 私は歴史を見るとき、ある仮説を打ち立てて過去から今に遡るとなぜか不思議に 知識が入ってくる。 それは古代エジプトもマヤ文明よりも四大文明よりももっと更に古代、大変精神性の高く まるでエデンの園のように、憂いや悲しみもない楽園のような文明があったとジェームズ・チャーチワードが説いている、ある文明。それらが人類の元になっているのではないかということ。勝手だが、これを元に歴史を見ていくと真実が見えてくる感覚がしてくるのだ。 これらを焦点に梅原猛氏の「聖徳太子」を読む。 聖徳太子が何をしようとしていたのか。何が望みだったのかを知るために。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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