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Voielactee

Voielactee

2005.08.15
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テーマ:日常の出来事(8)
来週、レバノンへ旅立つ。最近、恐怖で眠れない。
私は空気に流れる情報が映像で見えてくることがある。
それが、殺戮やとにかくおどろおどろしい映像が見えてきたりしている昨今。
殆ど眠れないので向かう地がどういう場所であるのかを知り、その地で行われた
内紛の歴史について勉強している。
同時に井沢元彦の「世界宗教講座」を読み、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、儒教などの宗教観の違いについて知る機会となっている。

観光半分の気分でレバノンへ向かおうとしていたのが間違いだった。
フェニキアの遺跡に見える美しく、輝かしい光景とは裏腹に 20年前には戦場であり、
多くの血に地が染まっていた場所である。首都ベイルートでは、今年2月、前ハリリ首相が暗殺されたばかりである。

眠れないのも当然だ。現地(中東)では、一瞬一瞬の判断が命を落とすことにも生かすことにもなる。ドアを出て、右を出るか、左を出るか。
眠れる、眠れないなんていってる場合ではないだろう。
街へ出たら自爆テロにあうかもしれない、テロに巻き込まれるかもしれない、
日本のように電車で寝られる暇はないのだ。安心して眠れる保障も。

地が血に染まり、憎悪の連鎖を繰り返してきた中東の地。
死んだ者の憎しみは、生きる人に宿り、この連鎖は延々と続いていくのだ。

人間はオギャーと生まれたら、生命終わるまで命をまっとうすることが天に約束された
「寿命」である。命は命をつなぐために生まれ、存在する。
しかし、自然死ではなく、人の手によって、それも兵器によって、人の憎悪の手にかかり
あやめられた命は天へ帰ることなく、鬼にも、悪魔という存在にもなってしまうのだ。
神のために死ぬという矛盾。

去年、ひとりの人間が首をナイフで切られ、絶命するまでの間の一部始終をアルジャジーラから配信される映像で見た。最初は興味半分だった。絶命するまでのうなり声や
しかし、脳裏に焼きつき、1週間眠れず、心にへばりつき、重くなり、心に重い重石が乗っているようでその苦しみというか恐ろしい空気そのものが伝わってきた。全身で感じたが、その苦しみそのものは筆舌しがたい。
私が遺族なら一生立ち直れず、一生どころか孫の代までたたるどころか、この世などなくしてしまいたくなる衝動になるだろうなどと考えたのだ。恐らく、愛するものを殺されたら私は自爆テロが出来るだろうと。
こんな思いが地球上に蔓延したらどうなることか。それが今の現実だ。

「宗教」について考える。神とはなんなのかと。神に祈り、神に頼み、神のために死んだ命とは一体なんなのかと。死んだ後、憎悪となってしまってはもはや神ではないのだ。
結局、レバノンの20年にわたる内紛の原因もキリスト教とイスラム教の宗教戦争なのだ。
なぜ、思想や宗教の違いで生かしあえないのか。戦争と相対立するものが平和ではないということが最近、分かった。平和とは、ひとりひとりがその資質そのもの、輝いて美しく生きることであると。真の自分を分かることである。自分が嫌なことはしない、人が嫌なことはしない、人に優しく、人を愛すること。
なぜこんなことを考えるのかと考えた。理由は「悲しい」からである。
人が泣いていると自分も悲しい、人が恨んだり、憎悪を持っていたら自分も苦しい、
けれども人の喜んでいる顔を見ると、自分も嬉しい。だから、何とかしたいのだ。
ああしようこうしようとばかり今まで考えてきたが、今は 愛する人、愛する人たちを心に、胸にガンガンやっていこうと思った。
悲しみを忘れたとき、死んだ人は死んだ人として 忘れてしまったとき、ずれて生きる原点さえ見失う。
原点とは、生と死のあいだ、人の存在したときの瞬間そのもののこと。
だから今、報道などで戦争の事実を伝える、と感じる。

ここ最近、例の江戸のキリシタン殉教という事実を知ったり、平和という道をあきらめずに必死にいきつづける女性の存在に出会い、そういったことを考える機会が多く、今尚、起こっている 人間の命が犠牲となって成り立っている社会の仕組み(システム)を知り
自分が出来ること、していくことを未来という時間と時空を計り、心を改めた次第である。

日本人は宗教というと 怪しい、オウム、とかいう 乏しい発想になりがちだが、井沢元彦氏の言うように、宗教の理解を深めると、世界のことが分かってくると。痛感しました。
自分自身もまだまだ知ること、事実、真実を知り、やはり、子供達の未来のために生きていこう、という気持ちが生まれたのです。






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Last updated  2005.08.16 18:06:42
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