カテゴリ:洋画 [ドラマ]
大人版『赤毛のアン』友を想う魂のドラマ ジュリア JULIA アメリカ(1978年6月)118分 ■ 監督 フレッド・ジンネマン ■ 出演者 ジェーン・フォンダ/ ヴァネッサ・レッドグレーヴ/ ジェイソン・ロバーズ マクシミリアン・シェル/ ハル・ホルブルック 昔、シドニー・シェルダンの原作本がベストセラーになった時 帯の謳い文句に 『超訳』 という言葉がありました これは 英語の元本を訳す時に、文章が醸し出すムードを伝える為の 語学力に裏付けられた 意訳 が重要だという意味を示す言葉であり これらの要素が一般的に認識されたのは、ごく最近の事の様に感じます 例えば、ノーベル文学賞作家 川端康成作 雪国 の場合は 抽象的な表現を好む日本の文学に対して 具体的な表現を好む欧米との 感覚と発想の差異が現れた 好例で この、「トンネルを抜けると雪国・・・」 という文章が持つ 日本人であれば誰もがイメージする 『日本的な閉鎖感』を 欧米人の持つ感覚に訴える様 如何に翻訳するのか 正に 意訳 が 鍵になった訳です 現在放送中の朝の連ドラで 女優吉高由里子さん演じる主人公 小説家 村岡花子さんの翻訳でおなじみの 『赤毛のアン』の場合なども 村岡版 が出版後、様々な改訂や翻訳で再出版され 93年には 原書に書かれていたイギリス文学をネタにした部分を 詳細な注釈を付けて解説した 松本侑子版などが 刊行されましたが 村岡版 が最も赤毛のアンの世界を描いていると感じるのは 単に良く読んでいた本の方が親しみがあるという 長年の愛着からと言うよりは 翻訳家 村岡花子さんの波瀾万丈な人生が 原作者 L・M・モンゴメリーの人生と非常に良く似ている事などから 村岡氏が 赤毛のアン の文章から浮かび上がる モンゴメリーの人柄を理解し 原作の世界に自分を投影して 主人公のアンそのものになって 意訳 した 瑞々しい印象を受ける為で さながら、原作者 モンゴメリーを アンの様に慕う 心の友のダイアナの様な 『馬が合う』作品だからこそ 描ける事の様に感じるのでした さて、本映画は 一見 『赤毛のアン』 とは何の関係も無い サスペンスに定評のあるフレッド・ジンネマンの 反戦ミステリーの様にも映りますが 主人公とその友人のジュリアとの かけがえの無い友情は アンを慕う 心の友ダイアナを見る様もであり、又 単に女の友情を描いているに過ぎない 凡庸な作品には無い 友情を貫く信念が描かれた作品でもあります 原作者であり本作の主人公リリアン・ヘルマンの 聡明で信念を貫く頑固な人柄は『赤毛のアン』の登場人物達の特徴でもあり 本作の監督である 巨匠フレッド・ジンネマンの 信念を貫く生き方を描く 頑なな作風が 見事に絡んで 正に『馬が合う』作品に仕上がっています☆ という訳で今回は 実際の劇作家 リリアン・ヘルマンの回想録を映画化した 『ジュリア』をご紹介いたします -STORY- ジュリアとリリアンは幼なじみであったが、第二次大戦前夜、 ジュリアは反ナチ運動に加わっていた。 そんなある日、劇作家として成功したリリアンのもとへ、 ジュリアが人を介して反ナチの運動資金を届けてくれと依頼してくる... -解説- ■ 劇作家リリアン・ヘルマンの回想録を元に ナチの脅威が忍び寄る激動の時代を背景に 友人ジュリアとの変わらぬ友情を貫いた 愛と友情と信念を描いた人間ドラマです 本作は リリアンと ハードボイルド作家ダシール・ハメットとの 暮らしを描く中 回願をする形で物語が進み リリアンがスランプを経て作品を発表し作家として成功するまでの前半と ロシアからの招待でヨーロッパを旅行する途中 反戦活動に身を置く 親友ジュリアの依頼で 運動資金をベルリンまで運ぶ危険な任務を受ける ミステリーな展開となる後半とで構成されています ■ 本作で最も比重を置かれたのは ミステリーな展開の 後半の部分であり スパイでも何でも無い主人公が ナチの検問を搔い潜りながら ベルリンまで到達するまでを 未曾有のサスペンスとして描いた所にあります このパートの特筆すべき点は リリアン本人が気付かない所で ジュリアの組織の人間のサポートが入る事で 一見表面上は平穏に進んでいるベルリンへの列車の旅が 死に関わる様な危険なもので 実は皮一枚繋がった様な状態で進んでいる事が観ていて分かる 類まれな演出にあり 手に汗握るサスペンスを体感する所にあります ほとんど欧州の車窓も映らない 限られた画面構成になって行く事で 先の見え無い様な不安を掻き立てる息苦しい程の緊張感で映画は進んで行きます リリアンが作家として名声を得るまでの流れの中で ジュリアとの思い出の日々が 現在のリリアンの状況にリンクする様に挿入される 赤毛のアンの ダイアナとアンの友情を見る様な前半に比べ 後半のミステリーな展開が不釣り合いで 映画のカラーが一変する様な印象がありますが それが整合して感じるのは むしろ前半で ジュリアとの友情を かけがえの無いものに描いている所に 理由があります アメリカの大富豪の娘ジュリアは 聡明さと行動力を併せ持つ女性で 貧富の格差と 事実上の階級社会を当たり前の様に感じている親族達に疑問を持ち それがきっかけとなり 成人してからはベルリンへ渡り 反ナチ運動に身を投じる様になります そんな親族達に対して、唯一心を許せる存在のリリアンとは お互い肉親にも似た姉妹の様な絆を感じる仲でした 心の友を想う、赤毛のアンのダイアナとアンとの様な ジュリアが遠く欧州へ旅立った後も、お互い友を想う気持ちに 一切 揺るぐ事はありませんでした リリアンが危険な任務に身を投じるのは 親友に逢いたい一心からの行動であり それが、友を思う深い心を物語る事でもあったのです ■ 作品中 ジュリアは、何系のどの一族かという説明は一切されませんし リリアンとの関係も、出逢いが全く描かれません あるパーティーの席で ジュリアとの仲について 短絡的に同性愛に結び付ける 心無い中傷を受けたり 時代背景も ベルリンでのリリアンの大学で起こった紛争で ナチドイツのユダヤ系移民に対するホロコーストが行われる事を表現した といった様に アメリカ人にとって 説明不要な事は 極力描か無い様な構成になっているので 人によっては 全く入って行けない内容に映るかもしれません それでも本作は、信念を頑なに貫く人物を描き 英雄的行為のつもりは無く 友達の為にしただけという主人公の行動が 共産主義者を締め出す『赤狩り』が行われ 保身の為 友人が友人を平気で売り渡す様な 魔女狩りが行われた 当時のアメリカ社会で 友人でいる事を貫き通す頑なさに 観る者の心を打つ本作は 魂の名作だと言っても過言では無い 作品に感じました☆ 【時の人だったリリアン・ヘルマン】 本作を評する場合、原作のリリアン・ヘルマンが 左翼的思想の人物と語られる事や 作品が ナチ・ドイツのベルリンを舞台にしている所などから 作品の政治的側面と歴史的背景を考慮する必要があるのですが ドラマの柱となるのは 作家になったリリアンが 親友ジュリアと再開するまでを描いたものであり 一見して反戦映画に見える作りも その友情が ナチの恐怖を跳ね除ける程強く 深いと 表現する為と捉えるのが 正しいと思われます あるパーティーの席で ジュリアとの仲について 短絡的に同性愛に結び付ける 心無い中傷を受ける場面に付いても 二人の仲を 友情以上のものに描く場合 アメリカでは避けては通れない風聞も考慮して 単に綺麗なだけの内容にはしなかった と捉えるべきなのでしょう ★★★楽天エンタメナビ ランキング★★★ 「大人版『赤毛のアン』友を想う魂のドラマ」 ※リンク先 参考になった は、ランキング用クリックボタンです。
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