カテゴリ:カテゴリ未分類
先日、赤信号で信号待ちをしていると、後ろの車からクラクションを鳴らされた。
考え事をしていて青信号に気づくのが少し遅れた。 ほんの何秒かなのに・・・。アイルトン・セナではないのでそんな早いスタートは切れません。 コミュニケーションには言語性のもの、非言語性なものとがあります。 考えてみると面白いもので、同じクラクションでも、 お先にどうぞ、道を譲ってくれてありがとう、どういたしまして、もう少し前に進んでくれない、危ないよ、さようなら、早く出てこい、信号青ぞ、などなど・・・。 ただの一つの音なのに、その時の状況や場所、時間によって、いろいろな意味を発信することができ、相手も上手にその意味を理解できます。 普段の言語的なコミュニケーションではすれ違いの多い私たちも、こんな高度な非言語的なコミュニケーションができるのです。 なぜでしょうか。 それは、伝える方、伝えられる方も「気持ちが入っているから」です。 そして、良くも悪くも、言語よりも非言語性のもののほうが、より多くのものを伝えることができるのかもしれません。 舌打ちやため息、うかない顔、イライラした動きなどなど。 大丈夫ですよ、よっかたですね、ありがとうに添える笑顔などなど。 やっぱり言葉そのものではなく、言葉に添える表情やしぐさ、言葉の裏にかくれた「気持ち」を意識することのほうが大切です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
お疲れさまです。
自宅から一歩外に出るとスイッチがONに切り替わり、言葉や表情や行動など気を付けているつもりなのですが、自宅にいるとついつい家族には甘えてしまっています。家族にはとくに非言語性のコミニュケーションが重要になると思うのに、実行できていません。私もまだまだ大人にならなければなぁ~と感じています。 (May 1, 2014 06:04:14 PM)
SUBARU42さん、お疲れさまです。「甘えること」も立派なコミュニケーションです。特に日本人の精神構造は「甘え」によって成り立っている部分もあるのです。大事なことはお互いを認め合っていること。それがあれば相手の「甘え」も自己肯定感や達成感になります。
(May 1, 2014 10:10:04 PM)
現代社会のコミュニケーションツールとして主流のメールはバーバルコミュニケーションですか?それともノンバーバルコミュニケーションですか?相手の表情が見えない文字での会話は受ける側の気持ち次第で色んな受け取り方になります。送った方は深く考えてなくても受ける側はキツく感じたり…,
文字になっているので一応言語化されていますが、相手の表情が見えないと言う意味では非言語的な要素もあるのか思うのですが… (May 27, 2014 10:21:48 PM) |
|