![飯倉片町-01N 62t](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/35/0000116235/14/img17d4f415nngv23.jpeg)
六本木近くから飯倉片町方面を見る。
![太子堂玉村屋ビルより-05N 63tqp](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/35/0000116235/15/imgb26bf2b5nnh1sw.jpeg)
三軒茶屋近くの246号道路の昔
![浅草:家族-06N 82q](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/35/0000116235/16/img1232ed5annh9io.jpeg)
今と変わらぬ浅草寺の仲見世通り
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東京の街の変貌は激しいものです。しかし、東京に長く住む人々には、日常は徐々に変わりますからその変化の早さに気が付きません。
そこで、古い写真を眺めることで、昔はそうだったのか、と思い知らされるわけです。
ここでは、偶々手元に保存してあった写真三枚で、変化したもの、変化しなかったものを見てみましょう。
先ず一枚目の写真は、六本木に近い飯倉片町から東京タワー方向を見た写真です。まだ都電が走っていたので、道路にレールがあり、その上には電車用の架線があります。
今は、この道路には高級レストランやファッションの店が立ち並んで、六本木の賑わいにつながっています。
二枚目は、三軒茶屋に近い246号道路の路上を俯瞰した写真です。渋谷と二子玉川を結ぶ路面電車の玉川線が走っていて、その両側の商店街は、広い道路に比べて寂しい有様です。
今は、玉川線は地下に潜って東急田園都市線となり、道路の上には首都高速3号線が走っています。両側の街並みは中高層のビル街になりましたが、首都高速の存在で空のない半地下街のように暗い街並です。
この二枚の写真は1962年に撮影したものですから、東京オリンピック開催(1964年)より前の東京の街の姿です。東京オリンピックを境に、東京の街は大きく変わりましたから、それ以前の写真は、特に印象的です。
三枚目の写真は、浅草寺の仲見世通りの賑わいです。この写真は1982年撮影したもので、20年余り前のものです。前の二枚に比べれば新しいので、現在の仲見世通りと余り変わっていませんが、恐らく、40年前でも、そんなに変わっていなかったと思います。
それは、歴史的な場所は変わらないのが当然だからです。ハレ(非日常)の場とケ(日常)の場は、変化の仕方が大分違うようです。日常の場である街は、人々の活動により便利なように、望ましいように変わって行きます。しかし、祭典や儀式が行われる非日常の場は、人々の心の拠り所として、変わらないのが良いのです。
それにしても、最近の東京の変貌は荒々しいものがあります。神社仏閣以外にも街には変わらないハレの場所が必要ですが、あちこちに建設される超高層ビル群は、果たして東京のハレの場所を残してくれるでしょうか。
(以上)