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カテゴリ:昭和
![]() 昼は閑散とした新宿二丁目 お気に召したら 人気blogランキングへ 新宿シリーズを新宿二丁目から始めるのは、ここから新宿の街が始まったからです。 江戸時代、江戸から甲府までの甲州街道の第一の宿場は高井戸にありました。日本橋から出発して高井戸まではかなり距離があったので、途中の内藤の地に、新しい宿場という意味で内藤新宿が設けられました。宿場には遊女を置く旅籠ができて、今日の新宿二丁目が生まれるきっかけとなりました。 大正の関東大震災で吉原が消失したこともあって、昭和の初期には新宿遊郭として全盛を極めます。昭和の時代、新宿二丁目と言えば遊郭のあるところを意味しました。新宿遊郭は戦災で消失し、そして戦後GHQが公娼制度を廃止させましたが、それでも新宿二丁目は青線地帯として存続しました。 売春禁止法の施行で売春が非合法化されると、さすがの青線地帯も縮小し、その後、この地帯の一廓にゲイ達が集まるようになり、新宿通りと靖国通りに挟まれた狭い地域に、日本では珍しいゲイ・タウンが生まれました。昔の花街は今はゲイ・タウンに変わりましたが、この土地が持つ猥雑さは、今も引き継がれています。いかがわしさ、猥雑さは都会につきものであり、街の活力の源泉でもあります。 経済地理の学説に、繁栄の中心地から遠くなれば遠くなる程その地域の発展は遅れるとい一般理論があります。その地域の発展の速度は、繁栄中心地からの距離の二乗に反比例するという立地論を聞いたことがあります。 寂れた地域を繁栄させるには、先ず花街を造り、人々が集まり賑わうようになったら花街を追い出せば、急速な地域開発が可能であると、冗談を言った学者がいました。色恋は距離を無視するから、距離の二乗に反比例するという立地論は成り立たないと言うのです。新宿の街の発展が新宿二丁目から始まったところを見ると、その学者の冗談も嘘ではないようです。 (以上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.02 11:15:24
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