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カテゴリ:昭和
![]() ![]() 築地本願寺の本堂は、通常の寺院建築とかなり違った形をしています。仏教は中国経由で渡来したので、大抵の寺院は中国形式ですが、築地本願寺は外観が古代インド様式を採用したので、人々に不思議な印象を与えます。 設計者は伊藤忠太という建築家でして、中国やインドを旅して日本建築のルーツを探ったり、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを証明したりした、寺院建築の第一人者でした。 浄土真宗は仏教諸派の中でも現世をそのまま是認し、教義が分かりやすく宗教上の作法や行事が受け入れ易かったので、商人や漁民の間に信者が多く、江戸時代には一般大衆に広く普及しました。 浅草にあった西本願寺の別院が、明暦の大火で浅草から築地へ移転するときも、佃島漁民の信徒達が本堂建立に熱心に尽力したと言います。 大衆的な体質は今も変わりなく、昨年(平成19年)宗派を越えたイベント「虹を翔るお坊さん 東京ボーズコレクション」が築地本願寺で開催されました。宗旨宗派と僧俗を越えて人々の悩みを解く運動を意図したものでした。 浄土真宗は又、仏教諸派の中で国際的な普及活動にも熱心です。伝統に縛られない大衆性があるからでしょう。主として日本移民の多い外国で布教していますが、仏教の国際化に積極的です。 築地本願寺の本堂は昭和9年(1934)に再建されましたが、当時は日本人の寺院イメージと異なっていたため色々の批判がありました。しかし、今見ると仏教寺院として荘厳さの中にモダンさを持っており、仏教の国際化の基地に相応しい寺院です。 (以上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.01 00:23:05
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