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カテゴリ:昭和
穴守稲荷神社 羽田航空神社 終戦後、米軍に接収された羽田空港は、整備のため敷地内にあった穴守稲荷神社を海老取川の西側に移転させましたが、神社の大鳥居だけはその後も空港敷地内に残されていたことは有名な話です。 この大鳥居を移そうとしたら事故が相次いで起きたので取りやめたと云う話や、いや米空軍が着陸の際、赤い大鳥居は目印になるので便利だから残させたとか、話題になったのです。 しかし羽田と穴守稲荷神社には深い因縁があります。羽田空港は多摩川が運んだ河口の浅瀬の上に建設されていますが、およそ二百年前、この地を田畑として開墾したとき海の波浪で屡々堤防に大きな穴が開きました。 農民は穀物の神様、お稲荷様を祭って災害の難を逃れました。以後、神社は穴守稲荷と称してこの土地の守護神になりました。 時代が下って、昭和6年に近代的な空港が羽田に建設されてからも、穴守稲荷神社は空港の守り神として崇拝され続けました。農業の神様は航空サービルの神様になったのです。 しかし、終戦後、米軍の命令で神社本体は京浜急行の穴守稲荷駅の近くに移転させら、その後も空港敷地内に残っていた大鳥居も、1999年に新滑走路の拡張に伴い離発着の障害になるので南に移されました。それでも穴守稲荷は空港の守護神として足場を残しています。 更に、羽田空港にはもう一柱の神様が鎮座しています。昭和38年航空神社の分霊が空港内に勧請され、空港全域の安全を守ることになりました。羽田空港神社は最初はビルの屋上にありましたが、空港ビルが現在のビッグバードに増改築されたときビル内に移されました。 忙しく飛行機に乗降する人々は気付きませんが、羽田空港神社は第1空港ビルの1階のトイレと同じ入口を入った奥に鎮座しています。この神様は人知れず空港と乗降客の安全を守っているのです。 羽田空港は、遠く離れた穴守稲荷神社とビル内奥の羽田航空神社に守られて安全な毎日です。 (以上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.20 22:19:22
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