1476251 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

東京今昔物語  (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

東京今昔物語 (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

wakowphoto

wakowphoto

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

原田和幸@ Re:スーパー堤防 下町の水害対策(01/29) スパー堤防は間違いで、スーパー堤防が正…
誤字脱字だらけ@ Re:スーパー堤防 下町の水害対策(01/29) スパー堤防なのかスーパー堤防なのか
wakowphoto@ Re:東京今昔物語の中断より再開の弁(01/02) お申し込みの内容が理解できませんので、…
タウンライフアフィリエイト運営事務局@ タウンライフアフィリエイト運営事務局でございます 平素は大変お世話になっております。 タウ…
背番号のないエース0829@ ファザード 「水を抱く女」に、上記の内容について記…

Freepage List

2008.11.20
XML
カテゴリ:昭和
羽田滑走路-04P 93

穴守稲荷神社-02D 0811qr
穴守稲荷神社

羽田航空神社-02D 0811qr
羽田航空神社

終戦後、米軍に接収された羽田空港は、整備のため敷地内にあった穴守稲荷神社を海老取川の西側に移転させましたが、神社の大鳥居だけはその後も空港敷地内に残されていたことは有名な話です。

この大鳥居を移そうとしたら事故が相次いで起きたので取りやめたと云う話や、いや米空軍が着陸の際、赤い大鳥居は目印になるので便利だから残させたとか、話題になったのです。

しかし羽田と穴守稲荷神社には深い因縁があります。羽田空港は多摩川が運んだ河口の浅瀬の上に建設されていますが、およそ二百年前、この地を田畑として開墾したとき海の波浪で屡々堤防に大きな穴が開きました。

農民は穀物の神様、お稲荷様を祭って災害の難を逃れました。以後、神社は穴守稲荷と称してこの土地の守護神になりました。

時代が下って、昭和6年に近代的な空港が羽田に建設されてからも、穴守稲荷神社は空港の守り神として崇拝され続けました。農業の神様は航空サービルの神様になったのです。

しかし、終戦後、米軍の命令で神社本体は京浜急行の穴守稲荷駅の近くに移転させら、その後も空港敷地内に残っていた大鳥居も、1999年に新滑走路の拡張に伴い離発着の障害になるので南に移されました。それでも穴守稲荷は空港の守護神として足場を残しています。

更に、羽田空港にはもう一柱の神様が鎮座しています。昭和38年航空神社の分霊が空港内に勧請され、空港全域の安全を守ることになりました。羽田空港神社は最初はビルの屋上にありましたが、空港ビルが現在のビッグバードに増改築されたときビル内に移されました。

忙しく飛行機に乗降する人々は気付きませんが、羽田空港神社は第1空港ビルの1階のトイレと同じ入口を入った奥に鎮座しています。この神様は人知れず空港と乗降客の安全を守っているのです。

羽田空港は、遠く離れた穴守稲荷神社とビル内奥の羽田航空神社に守られて安全な毎日です。
(以上)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.11.20 22:19:22
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.